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2016年12月22日13:46

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暦から考える冬至、クリスマス、元日

 冬至、クリスマス、そして元日がなぜ近くにありながら、バラバラなのか。この時期になるといつも疑問がぶり返してくる。一年で最も昼の時間が短いのが冬至で、翌日から少しずつ昼の時間が長くなるのであれば、冬至を大晦日か元日にすれば、すっきりするのではないか。

 そもそも、なぜ1月1日があの日なのか。そこに何か意味があるのか。そういわれて答えられる人はそう多くないだろう。結論から先に云えば、どうやら「その日自体に意味はない、結果としてそうなった」ということらしい。

 事の始まりは、共和政ローマ最末期に独裁官として君臨したユリウス・カエサルが太陽暦に基づく暦を作ったことによる。これをユリウス暦という。もともとはローマ暦が使われていたけれども、これは太陰暦(月の満ち欠けに基づく暦)で本来の月と季節が全く対応していなかったので、それを修正した上で、冬至のあとにきた新月の日を1月1日とした。ローマ暦後期(ヌマ暦)は、一月を物事の初めと終わりを司る神(ヤヌス)に由来した名で呼んでおり、すでに冬至が一年の節目と考えられていたのだろう。

 このあたりは、古代ローマでミトラ教という、太陽神ミトラスを信仰する宗教が広がったことが関連しているとか、それゆえに冬至に近い新月が重要な意味をもっていたからとかいった説もある。クリスマスも、このミトラ教の影響を指摘する人もいる。このとき、冬至に当てはまるのは12月24日だった。


 やがて古代ローマも、帝政に移行し、次第にキリスト教が浸透してくる。そしてキリスト教もユリウス暦に基づいて行事が行われるようになった。
 ここで重要になってくるのが、春分である。なぜなら、キリスト教で最も重要な行事イースター(復活祭)が「春分のあとにくる満月を経た最初の日曜」という決まりがあるからだ。ユリウス暦は、当時の暦として極めて精巧に作られていたけれども、歳月とともにズレが生じていた。

 16世紀のヨーロッパでは教会が大きな権力を握っており、暦のズレが宗教行事に影響を来すことを是正するため、改めてグレゴリオ暦を採用した。これによって、春分が3月21日頃になるよう調整された。これは、キリスト教として復活祭の日にちの統一を決めたニカイア公会議(325年)の暦に当てはめるものだったからといわれる。

 これによって、「結果的に」冬至が12月22日頃(2016年の冬至日は21日)、クリスマスが25日、そして新年1月1日がそれから約十日後と定まったというのだ。つまり冒頭で述べたように、元日はそれ自体に意味があって定められたのではなく、いろいろな経緯があってそうなった、ということである。


 一方、前近代まで日本で使われ、現在でも東アジアで採用されている旧暦(太陰太陽暦)の場合、「二十四節気のひとつ雨水(立春から約半月後、2月19日頃)の前にくる新月」が元日というケースがほとんどだ。もちろん、月の満ち欠けに基づく旧暦は時期的に最大一か月のズレを生じさせる(いまの暦で1月21日〜2月20日の間)。
 ただ、新年=新春という感覚からすれば、本格的な寒さを迎える前に元日がやって来るいまの暦よりも、しっくりはきやすい。

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■ゾウにも冬至のおすそわけ…メスの「姫子」にカボチャのプレゼント 姫路市立動物園
(産経新聞 - 12月22日 08:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=4353769
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