子どもたちが、家庭の経済状態にかかわらず、大学をはじめとする高等教育を受けられるようにするというのは、確かに理想とすべきものだ。その実現に向けて、政治が動くのは悪いことではない。
しかしながら、こういう議論がなかなか実行に移せない状況にも目を配る必要がある。
ひとつはもちろん、財源をどうするかという点だ。税制を変更して、文教費に予算を回すほか、増税や「子ども国債」の発行を進めるのが民主党の原案であるけれども、財源移譲に世論の理解を得ることは、必ずしも楽なことではない。
もうひとつは、私学助成に関することだ。同じ学校でも公立と私立では授業料も異なるし、カリキュラムも違う。同じ値段でよりよい教育が受けられるのなら、みんなそっちに行くに決まっている。
また、私立学校に過度の公金を支出することが、仮に憲法違反とはいわないまでも、原理的に問題ないとは言えない。原案では給食費まで無償といっているけれども、たとえば教材や制服などの費用はどうか。修学旅行や合宿などはどうなるのか。その線引きも簡単ではない。
人によっては、大学院こそ無償であるべきという。公共に資するという意味では、研究者や専門家を養成する方を厚く支援すべきという意見であり、これも一理ある。経済的に困難だから、優秀な人材が研究の世界に向いてこないというのも、問題となっている。
このように、少し考えるだけでも、理想と現実の間は大きく開いているし、その整合性をどこに置くのかは容易ではない。
先の民主党政権では、そうした一つひとつの配慮を欠いた結果、個々の政策が行き詰まってしまったのではなかっただろうか。看板は立派でも、中身をどうするかということを欠いた議論は、かえって有権者からの信用を失うことにならないか。原案から、具体的方針をどこまで明示できるのか。次期衆院選をめぐっては、このあたりも注目すべきところだろう。
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次期衆院選 民進党公約の原案
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4321867
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