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2016年11月20日21:36

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【散策】 生田緑地散策

昨日はいよいよ冬到来かという寒さだったが、今日は一転して、日中は20℃位まで気温が上がる暖かい一日となった。天気もいいので近所をぶらぶら散策することにして、久しぶりに生田緑地に行くことにした。何年ぶりか、というより何十年ぶりかである。自宅から歩いて30分ほどで東口の入口に到着した。着いたらちょうど10:00であった。


1.歴史と自然

中に入るとすぐに日本民家園がある。まずはここからと思ったが、なんと団体客が入口に集まっている。生田緑地の入口前に観光バスが停まっていたので、いやな予感がしたが、そのとおりだった。そこで、少し時間をずらすことにして、最初は枡形山の方に行くことにした。民家園正門前を通り過ぎ、右折して山道を登っていく。紅葉している木もあり美しい。七草峠から階段状の道を登っていくと、枡形山の山頂に着いた。標高84mだが、立派な山だ。ここは枡形山広場となっているが、まだ人影はあまりなく、静かな空間だ。ここは鎌倉時代初期に、現在の川崎市北部を治めていた稲毛三郎の居城である枡形城があったところである。今はその痕跡はなく、ただの広場だが、多摩区の地ビールの銘柄にもなっている枡形城の名は、多摩区民には馴染みのあるものだ。

広場には展望台があるので、そこに登ってみる。この展望台は平成になって建て替えられたものである。展望台の上からは、周囲360度が見渡せる。空がやや霞んでいるが、西には富士山が見えるし、東には東京の都心部のビルが見える。スカイツリーと東京タワーを同時に見ることも出来るが、完全な快晴ならばもっとよく見えただろう。中央広場は人が多いが、枡形山広場はそうでもなく、ゆったりと遊べる場所といえるだろう。

枡形山をおりていく。同じ道を通ってもつまらないので、裏側の道を通っていく。森の小径という感じで、心地よい。猫が3匹集まって、日向ぼっこをしている光景にも出会った。サザンカの咲く道を抜けると東口の前に戻ってきた。


2.生活

改めて日本民家園に行くことにする。民家園は生田緑地の中でかなりの面積を占めており、ここを見ない手はない。入園料は一般500円である。先ほどの団体はすでに見えず、タイミングをずらしたら空いていた。展示室には、日本の古民家の説明や、平場の家、山地の家、海辺の家、町の家のジオラマがあり、このジオラマに見入ってしまうが、この展示室はさっと見るだけでよい。民家園の主展示は屋外にある古民家である。外に出ると、何やら一部工事中(維持のための補修工事)だが、入口付近のところだけで、あとはゆっくりと見ることが出来る。

まずは宿場の家。鈴木家、井岡家、佐地家、三澤家が並ぶ。このあと、信越の村、関東の村、神奈川の村、東北の村とエリアが続き、いよいよ古民家のオンパレードだ。古民家といっても地域毎に特徴があり、屋根ひとつにしても、切妻造、入母屋造、寄棟造、あるいはこれらの組み合わせなど様々だ。こういうのに詳しくなるともっと楽しいと思うが、今回は雰囲気のみを楽しもう。信越の村に入ると、道祖神、庚申塔、馬頭観音が迎えてくれる。いかにも信州っぽい。まずは水車小屋がある。水力を利用したエコな動力である。近年、環境問題が声高に叫ばれ、エコなんとかが流行りだが、そもそも日本の古民家は、非常に合理的に出来ており、無駄なエネルギーは必要としないなどと、そんなことも考えたりする。信州から越中に入ると、合掌造の家が並ぶ。雪深い山奥ならではの家だ。

トンネルを抜けると関東の村に入る。甲州塩山の広瀬家、常陸笠間の太田家などがある。神奈川の村にある北村家は、建築年が正確に分かっている貴重な民家らしい。1687年(貞享4年)だ。開放的な民家である。伊藤家は麻生区金程で、現在の新百合ケ丘から全く想像できない農家だ。同じ麻生区の岡上の蚕影山祠堂もある。養蚕の豊作を願い、その神を祀ったものだ。岡上は今も農村的雰囲気が残っているので、これは今もありそうと思える。東北の村は、岩手県紫波の工藤家と山形県鶴岡の菅原家だ。工藤や菅原という姓は東北に多く、ここは名前を聞いただけで東北だと分かる。

結構広いエリアを回って、合計24箇所の古民家やそれに付随する建物を見た。西門または奥門から出ることも可能だが、来た道を途中まで戻ることにする。信越の村にある山下家が目的だ。山下家は、飛騨白川郷の合掌造の家であり、ここがそのまま蕎麦屋になっているのだ。これを見つけた時に、昼食はここにすると決めていたのだ。「そば処白川郷」は、まだ正午前だというのに混雑しはじめていた。山菜、たぬき、とろろがあるが、迷った人のためにか「民家園そば」という、三種入りの蕎麦があるので、それにした。合掌造の家の中でいただく蕎麦は趣があって、より美味しく感じられた。正午を過ぎ、そろそろ混雑のピークになった頃、店(白川郷の山下家)を出た。同じ道を戻って、正門のところから出た。


3.科学

中央広場の方に行ってみる。ここだけは人が多い。「登戸食の祭典」というイベントもやっており、登戸の飲食店の出店が賑わっている。午前中の枡形山の静かさや、民家園のしっとり感とは別世界だ。この広場に置かれているのが、蒸気機関車D51-408と客車スハ42-2047だ。鉄道好きとしてはこれを見ない訳にはいかない。きれいに整備されており、再び線路上を走る可能性もあるかもしれない。

さて、ここにあるのは「かわさき宙(そら)と緑の科学館」だ。1階は「緑」、2階は「宇宙」という訳である。午前中訪れた場所とはがらりと雰囲気が変わる。1階は、生田に棲息する動植物を展示した「生田緑地ギャラリー」を中心に、多摩川の自然、丘陵の自然、街の自然、川崎の大地のコーナーがある。多摩川や丘陵は分かるが、街の自然とは何だろうと思ったが、それは街中に自然に生えている植物のことであるという。そういうのを「雑草」と呼ぶが、雑草という名前の植物などない。人間が植えて育てた植物ではない、自然の植物なのである。また、川崎市にはタヌキが生息している。ほとんど見かけることはなくなったが、まれにタヌキが今も現れたりするのである。

2階は宇宙関係だ。こちらはやや控え目なパネル展示だけだが、メインのプラネタリウムがあるので、そちらに行った方がいいのだろう。プラネタリウムは有料で入館券が必要だが、残念ながら次の回は満席である。またの機会にしよう。宙と緑の科学館の中は子供が多い。民家園では年配者ばかりが目立ったが、年齢層の違いが顕著だ。目を輝かせて展示物に見入っていた子も多く、小さい頃から科学に興味を持つことは非常に好ましい。


4.芸術

大賑わいの中央広場を抜けて、再び静かな森の道を歩いていくと、奥の方にあるのが岡本太郎美術館だ。岡本太郎は川崎が生んだ偉大な芸術家で、いまさら説明を必要としないだろう。入館料は900円である。中に入ると、そこはもうTAROワールド。常設展は「太郎の眼玉ダンジョン」という展示室で、岡本太郎の作品の中でも、特に「眼玉」が描かれた作品を中心に展示している。展示室にギロリと見開かれた眼玉が現れる。岡本太郎が執拗に描き続けた「眼玉」は、何を見て何を訴えているのだろう、と考えてしまうが、そういう理屈を付けるのは岡本太郎は嫌うだろう。「何だ、これは!」でいいのである。鬼気迫る眼玉に圧倒され、その他の岡本太郎の作品の数々にも触れられ、何かが自分の中から「爆発」しそうな気にさえなった。

「座ることを拒否した椅子」もあり、これは自由に座ることが出来るが、座面に顔が掘ってあったり、奇妙な形をしていたり、座りにくいことこの上ない。ここだけは写真撮影可であるので撮ってみたが、やはり芸術作品はじかに触れてこそ、感じ取れるものであると思う。

企画展示室は、岡本太郎の「明日の神話」を中心に、「つくることは生きること」をテーマにした、芸術家たちの作品が展示されている。阪神淡路、東日本、熊本と、大きな地震が続き、いつどこで大地震が起きてもおかしくない国に住んでいる我々の中にあって、芸術家として何が出来るかを問うた作品ということである。震災の被害者はかわいそうだという視点ではなく、地震が爆発なら芸術も爆発だ!という、前向きなメッセージだという。失われたものも多いが、新たに生まれるものも多いのである。

美術館の外に出て、少し行くと思わず「何だこれは!」と叫んでしまったが、それは「母の塔」である。岡本かの子に向けたメッセージとしての作品ということなのだろう。池のそばにも不思議なオブジェがあるが、こちらは「樹霊」という岡本太郎の作品だ。


歴史と自然、生活、科学、芸術。自宅から徒歩圏内にある割には滅多に行かなかった場所で、秋の一日を楽しんで、心身ともにリフレッシュ出来た休日となった。
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