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2016年10月23日18:59

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同名異曲のフランク永井「旅愁」(1962)の再発見

 今は紅葉が楽しめるいい季節。先週に大崎市松山で「第8回フランク永井歌コンクール」が開催されたばかり。ただ、先の熊本についで鳥取で大きな地震がおこり、次はどこかとの不安が広がっている。毎回被害が出て、避難所生活を余儀なくされており、一日でも早い回復をお祈りしております。
 秋の旅はそれだけで情緒があり、誰もが憧れるもの。秋の旅は「旅秋」と表現するが、旅の愁いに視点をあてた「旅愁」もある。いずれも歌のタイトルとして、何人かの歌手が雰囲気豊かに歌を残している。
 フランク永井は、その2つのタイトルの曲を残している。
 1963(S38)年8月に「旅愁」(VS-1076、B面はこの時期けっこうB面に収めた朝倉ユリ「失恋」)で、曽根千壽作詞、山下毅雄作曲の作品である。作詞の曽根千壽の名はここでしか登場していない。著名な方なのか、それとも一般から出された名詩なのかは判別できない。
 この盤は著者も保有していないために、裏面の歌詞が分からない。歌いだしの「ひとひゆき…」は「日と日行き…」なのだろうか。作曲はテレビドラマの主題歌などで大活躍した作曲家で、フランク永井にはオリジナル曲「おきなわ」「トランプ占い」「波止場」「別れのテーマ」など提供している。近年再ドラマ化が多い「大岡越前」「ルパン三世」「七人の刑事」などがとくに有名だ。
 「旅秋」は、フランク永井後年の大ヒット曲で、1983S(58)年12月にリリースされている。なかにし礼作詞に恩師吉田正が曲をつけた名曲だ。B面は同じコンビで「さよならは左手で」。フランク永井の「りょしゅう」といえば、こちらの「旅秋」がファンにはあたまに浮かぶ。
 秋の旅の愁いをなんとすばらしく表現していることか。この季節なんども聴いてしまう。これはカラオケでも用意されていて、歌コンクールでも過去にエントリーされている。

 嬉しいことに、最近もうひとつの「旅愁」が(再)発見された。ここ数年来フランク永井に関する曲や資料について、多数の情報を寄せてくださっているAさんからの資料だ。感謝をこめてここに記録しておきたい。
 それはフランク永井関係資料で、幻のオムニバス盤となっている「魅惑のオール・スターズ」シリーズの第4集にあるよとのこと。「魅惑のオール・スターズ」については、データブックで触れたとおりだが、15集まで出ているらしいことはわかっていても、現物の入手が困難でほとんどあきらめていたもの。しかし、かつてのノートから4集には「旅愁」をフランク永井が歌っているということは知れていた。
 4集は1962年の発売で、先に紹介したシングル盤「旅愁」が1963年であり、同様の例があることからシングル盤の「旅愁」を、先行したオムニバス盤で使ったに違いないと、勝手に思い込んでいた。まさか、1〜2年間の間に同名異曲を吹き込むことなどないだろうと判断し、データブックでは第4集の「旅愁」はVS-1076と記してしまっていたものだ。ここで、改めて訂正する。
 Aさんから得た貴重な情報によれば、同名異曲のまったくの別の曲。作詞は著名な、というより当時ビクターのトップを走る偉大な吉川静夫、作詞はラジオ歌謡などで多くの情緒ある作品で実績のある八洲秀章。編曲も八洲による。
 思い込みについては例によって反省しきりだが、この情報にはたいへん驚いた。
 曽根版は小諸、つまり現在の長野・山梨あたりが旅の先であることがわかるが、吉川版は、旅は哀しい、旅は儚いと「あゝ俺はいつでもそう思う」と、旅の愁いをそのテーマとしている。
 そのようなことで、この秋の大発見。あくまで大発見というのは筆者の私的な発見である。当時間違いなく存在したものを、何も知らない者(著者)が、発見したなどというのは、自分でも言いたくないのだが、変わる言葉を語彙貧弱で知らない。まるで「1942年コロンブス・アメリカ発見」のような、西欧だけが世界と歴史という鼻持ちならない感覚と同じなようで、大変使いたくない! が嬉しい話題であった。

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