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2016年07月14日13:46

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譲位するということ 歴史的事例との相違について

 天皇が生前に譲位された事例は、江戸時代後期にまで遡らなければならない。逆にいえば、それまでの時代において、天皇の譲位は当たり前のことと認識されてもいた。

 一般的には、天皇が譲位されると上皇(太上天皇)の尊号で語られることになる。そして上皇が、天皇を措いて朝廷の主導権を握っていた時代を院政という。

 少し厄介なのだけれど、上皇ならば誰でも朝廷を主導的に動かせたわけではない。そこには、親から子、祖父から孫へと、次に天皇になることを指名できる存在のみの権限があり、彼を上皇のなかでも特に「治天の君」と呼ぶ。天皇家のなかで、家長とされる人がこれに当たる。
 将軍や大名でも、当主より隠居のほうが主導権を握っているケースは少なくない。たとえば、徳川家康は将軍職を退いても、大御所として国政に強い影響力を持っていた。治天の君もそれと似たようなものととりあえずは考えておきたい。

 ただ、上皇は院政がはじまる前から存在していた。院政のはじまりは、平安時代後期からといわれている。ではそれまでの上皇はどういう存在だったのか。

 上皇のはじまりは、奈良時代になる少し前、持統天皇が譲位したときとされる。ただ、天皇が譲位した例はそれ以前にもあった。いずれの例も、政局が混乱した時期に中継ぎ役として即位した女帝が関係している。

 その後、朝廷内の権力関係が左右されるなかで、天皇の譲位も増えていく。この段階では、譲位した上皇は政治権力も手放して、楽隠居みたいなかたちになることも多かったけれども、なかには平城上皇のように一定の権力を行使し続けた例もある。

 未だ朝廷、とりわけ皇族のかたちが「家」としてまとまっていなかった時代のことだ。

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 今上天皇の「生前譲位」というのは、制度として定められた近現代の天皇制において、なかったものである。したがって、譲位の手続きをどう行うのか、元号はどうするのか、称号や役割は何なのかについて、はっきり決まっているわけではない。

 もっとも、病弱だった大正天皇に替わって、まだ皇太子だった昭和天皇が摂政となって、代行をした事例はある。そして現行憲法や皇室典範においても、摂政の規定は存在する。

 にもかかわらず、「生前譲位」のご意向が示されたという意味は重い。天皇とはいえ、老いと無縁ではいられない。国事行為のご負担はもちろんだけれども、働きざかりの皇太子にその役割を天皇として行ってほしいというお気持ちや、一歩退いたところから皇室ご一家の行く末を見守りたいというお考えがはたらいたのかもしれない。

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「生前退位」報道 驚きと共感
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4092254
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