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2016年07月05日12:44

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幕末の攘夷派から外国人排斥を考える

 日本における外国人排斥の潮流としてよく知られているのが、幕末期の攘夷運動である。不平等な関係を強いてくる欧米列強への反発と、それを受け入れた幕府への揺さぶりが目的とされるが、やったことはかなり過激である。

 なかには偶発的な事件も含まれているけれども、外国人への襲撃は計画的なものも多く、実行犯は攘夷派の藩士たちだった。こうした藩士たちは何も、開国によって直接的な被害や影響を受けているわけではない。加えて、藩校や私塾で一定の教育を受け、また自らも子弟に教育を施すようなインテリに属する。

 これが、生糸や絹織物を扱う業者とか、対外貿易によって不利益を被った商人たちの反発というのなら分かる。しかし実際に外国人排斥を叫び、刀を振るったのはそれとは直接的に関係のない知識人たちだった。

 もちろん、当時はメディアの発達も十分ではなかったから、一般の民衆が欧米列強に対する脅威や開国への影響を十分に理解していなかったという面もある。不満はあったが、民衆はその手段を欠いていたかもしれない。

 一方、攘夷派も海外情勢に明るく、それに基づいて犯行に及んだわけではなかった。外国人と接触することに対する漠然とした不安と、日ごろの憤懣が不十分な知識と理解と結びついて、直接行動に駆り立てたのである。

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 今回のバングラデシュ首都・ダッカにおいて起きた悲劇もまた、テロの実行犯は大多数の貧困層ではなく、裕福なエリート層に属する若者たちだった。彼らを犯行に向かわせたのは、宗教に基づく過激思想だったという。そういう要因もあったかもしれない。けれども果たしてそれがすべて説明がつくだろうか。

 幕末の攘夷派は、相手の素性や国籍を十分に調べた上で襲撃に及んだわけではない。彼らはとにかく外国人を排斥することが目的であって、外交官だろうが商人だろうが、イギリス人だろうがフランス人だろうが、とにかく機会があれば彼らを襲おうとした。

 今回のダッカにおける襲撃もそれに当たるのではないだろうか。「日本人だから」という理由で今回のテロが計画されたとも思えない。攘夷派たちがそうだったように、実行犯たちも宗教的教義や見聞きする情報から、抽象的な、しかし過激な思想や信念を抱いたのであって、具体的な動機、たとえば特定の外国人が国の富を収奪しているとか、不正行為を繰り返しているからという確かな根拠に基づいていたわけではない。

 自国の文化や社会のなかで異質な存在として、外国人を標的とした。それは不十分な認識に基づくものではあった。けれどもそれとて、一定の情報に接することができる環境、そして社会不安と結びつける程度において理解できる教育を受けた者のみが得られる感覚ではないだろうか。

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 このような海外テロに巻き込まれた邦人のニュースに触れるたびに、私たちは「なぜ日本人が」という問題意識を立て、それを前提に理由を見つけようとしてしまう。

 しかしそれによって見落としてしまう要因もたくさんあるはずである。宗教的なものや、日本政府の方針にばかり気を取られて、実行犯たちの認識や、彼らが得られる情報の水準について検討しないと、見当違いな結論を導いてしまうことになりかねない。

 これは他方で、「私たちは国際貢献を行っているのだから、襲撃される心配はない」といったような楽観を抱くことにもつながる。そして「何の罪もない彼らが襲われたのは、我が国の政府が悪いからだ」と向くことにもなる。しかしそれは彼らの犯行動機に結びつく議論だろうか。そして、そのような理不尽なテロから身を守ることに資するだろうか。

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■テロ犯、与党元幹部の息子や留学生 数カ月前に消息絶つ
(朝日新聞デジタル - 07月05日 05:26)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4076979
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