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2016年07月04日21:33

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猪木とビンス(320)

ハルク・ホーガンvsポール・オーンドーフのWWF世界ヘビー級戦、アンドレ・ザ・ジャイアントvsマスクド・スーパースターの2大決戦が行われた84年2月20日、ニューヨーク・MSGの定期戦に退職した新間に代わって新日本プロレスの渉外担当となった坂口副社長が訪れ、ビンス・マクマホンと会談を持っていました。

3月3日、後楽園ホールでの会見の時マスコミから「マクマホン(シニア)と会ったのか?会談の内容は?」と質問があり、これについては「(第2回)IWGPの参加メンバーの最終打ち合わせ」と回答しています。

以前にも書きましたがビンス・シニアの病状はこの時点でかなり悪化していましたが、食道癌のことは伏せられていて、日本への報道も矢面に立っていたのは全てビンス・シニアでした。

当時の雑誌の記事を見ても、ビンス・シニアが全米制圧に動いていることになっていて対日本へのコメントもビンス・シニアになっています。もちろん体調が良くて執務をしている日もあったでしょうし、実態はどこまでがビンス・シニアの発言でどこまでがビンスの発言かはわかりません。

ただ坂口の今回の渡米目的がWWFが第3団体に外国人選手のブッキングをしないように依頼をしに行ったことは想像に難くないところです。

ビンス・シニアは「新間は私の大切な友人、彼から頼まれれば我々は選手を送る用意はある。しかし、日本の問題は日本で解決すべきだと考える」とコメント。

WWFとしては新日本プロレス、第3団体のいずれもが相応の資金を積んでくれれば我々はどちらともビジネスをしますよ、というのが見解かと思います。

坂口はザ・タイガーが出ると報道された3月26日のMSG大会に高田伸彦を出場させる用意がある、と語りました。

坂口に先駆けて2月初旬にアメリカに行き、ビンスと会った新間は帰国後メキシコへ飛び、フランシスコ・フローレスUWA代表と面談し新団体への選手の派遣を要請。

UWAはWWF以上に新間の顔が効く団体でした。旗揚げしたばかりのUWAにグラン浜田を修行に出し、藤波、キラー・カーン(テムヒン・エル・モンゴル)、長州を始め小林邦昭以下多数の若手を修行させました。

またアンドレ、タイガー・ジェット・シン、ボブ・バックランド、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー等トップ外国人が新間のブッキングで多数渡墨。

老舗EMLL(CMLL)が国内ルチャドール中心のマッチメークであった為差別化を図り、国際色豊かな顔ぶれで毎週日曜日のエル・トレオの定期戦は毎回20000人超の観客を集めていました。

80年4月13日にはトレオで猪木がシンを破り日本人初のUWA世界ヘビー級王座に就く等(その後長州、藤波も同王座戴冠)日本とメキシコの橋渡し役を果たしていたのでフローレス代表と役員のカルロス・マイネスからは新間は絶大なる信頼を寄せられていました。

新間は第3団体旗揚げに際しWWFより先にUWAから選手派遣の約束を取り付けていました。

しかし、3月26日MSGで実現かと噂されていた佐山聡のザ・タイガーのカムバック戦は2月中旬になって「ロンドンになるかも知れない」と発言が変わりました。

この時点で佐山と新間の間に佐山の私設マネージャー的存在であったショウジ・コンチャから横槍が入り、第3団体へのザ・タイガーの参戦は一旦、見送りになったと見るべきかと思います。

また、ビンスもテレビ局がつくかどうかわからない第3団体と商売をするのは早計であると判断したかと考えられます。

新日本プロレス営業本部長の肩書きなくなった新間と、第3団体の出現により慌ててアメリカにやって来た坂口、どちらもビンスにとってはインバウンド(先方よりの申出案件)であり、新間も坂口も足下を最初から見られてしまった訳です。
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