■獺狐余話(145)　/　「イイモトさんのこと」

●2015年01月15日(木)　　　　雨　のち　曇り

　▼イイモトさんは、ナラトさんの古くからの友人で、数棟離れた
　　同じ団地に住んでいる。

　　ナラトさんが労働組合の活動をやっていたとき知り合って、
　　以来、５０年近くなる知己である。


　　定年退職したあと、２年か３年か前に奥さんと離婚し、子供たちも家を出ているので、
　　いまは、一人で住んでいる。
　　歳は、ナラトさんより３つ下で、今年、６７歳のはずである。

　　いままでも、どこかに、何回か、イイモトさんのことは、ナラトさんも
　　オレも書いていると思う。

　　いまから１０年以上も前のことになるかと思うが、ある一件で、イイモトさんは
　　ナラトさんところに来なくなった。

　　ナラトさんは、イイモトさんが来なくなって、また来るようになれば、それでいいし、
　　来なくなったままでも、それはそれで、いいと思って、自分からイイモトさんの家を
　　訪ねることはなかった。

　　それが、２年前だったか(検索して、その日の「日記」を貼付)、
　　たまたま、団地の入り口で、旅行に出かけるので速足であるいていたナラトさん夫婦と、
　　車に乗ったイイモトさんがすれ違った。


　▼それから何日かして、イイモトさんから電話があり、イイモトさんはナラトさんの家に
　　来て、いっしょに、お酒を飲んだり、『本』を借りて行ったり、また、ときどき、ナラトさんも
　　イイモトさんの家に行くようになった。

　　去年の正月だったか、イイモトさんはすっかり体力をなくし、へとへとの状態だった。
　　自分の家から買物に行くのに、坂を上ることができないくらい、体力が衰えていた。

　　病気ではなく、ちゃんとした食事をしないためだと、ナラトさんは思った。
　　ナラトさんの奥さんが、「おかゆ」みたいなものを作り、正月３日の日だったので
　　「おせち」なんかも、ようやく、食べられるようになった。

　　ナラトさんも、いっとき、体重が５２．５キロのとき、スイカや豆腐みたいな軟弱な
　　ものしか喉を通らぬときがあったので、イイモトさんも胃袋がやられていて、
　　物が食べられなくなっているのがわかった。

　　ナラトさんの場合は、原因が「ピロリ菌」による胃潰瘍で、正月明けの初出勤の
　　日に職場で吐血して、それでも、そのまま働いていて、ついに入院。
　　病気がなおったら、食べるものがなんでもおいしく、体重はとおとお７０キロを
　　超えてしまった。


　▼それにくらべて、イイモトさんの場合は、医者に診てもらっても異常はなく、血圧も
　　　いまは薬を飲む必要もない。

　　たばこは吸うが、いま、家では、酒もほとんどやらない。
　　ただ、ひとりで酒を飲むときは、短時間に多量に飲むらしい。
　　ナラトさんの家で、「おかゆ」を食べた時も、正月用に用意した酒を、暮れから
　　年明けにかけて、ひとり飲んでいたそうだ。

　　一番の問題は、まともな「食事」をしていないことである。

　　外食でもいいから、ちゃんとバランスよく食べていれば、体力が衰えることはない。
　　ところが、まともに食べていないから体力がなくなり、胃も細る。　すると食欲がなくなり
　　間に合わせのものを口にして、それで済ます。

　　そして、結論が、「じゃまくさい」。
　　何をするのも、面倒で、億劫になる。
　　食うことさえ、じゃまくさく、面倒なのである。


　▼先日、ナラトさんは、イイモトさんを連れ出して、いっしょに、「十日えびす」に行った。
　　寒い日ではあり、鼻水もたれる。　最近は、ナラトさんも温度差があったりすると
　　すぐに鼻水を垂れる。

　　でも、イイモトさん鼻水の垂れ方は、むかし、ナラトさんが小学校にあがる
　　昭和２０年代の子供の鼻水に似ていた。　子どもたちは服の袖口で鼻水を拭くので
　　拭いたところは乾いた鼻水で照かっていたが、イイモトさんの鼻水は、それを思わせた。
　　つまり、「栄養失調」である。

　　屋台に入って、イイモトさんと「そば焼き」を食べたが、ナラトさんはビールで腹がふくれて
　　半分くらい「そば焼き」を残してしまった。
　　それで、「もし、よかったら、これも食べて・・」と、イイモトさんに残りの分をすすめたら、
　　イイモトさんは、「うまいなぁー」と言って、ナラトさんの分も完食した。

　　イイモトさんは、朝から、ほとんど何も食べていなかったのだ。



　▼きょうは、朝から雨が降っていた。

　　おそらく、この分では、買物には出かけないだろうと、ナラトさんは思った。
　　オレはナラトさんに訊ねた。

　　「イイモトさんから、まだ電話がありませんが、イイモトさん、買物に行ったのでしょうか」

　　「さあ、どうだろう・・？　きのう、一人で、野菜や肉を買いに行ったのかもしれない。

　　おととい、　「ぞうすいの素」も二袋もって行ってあるから、大根と鶏肉を買ってきて、
　　みつばとネギはここにあるから、一度、自分で作ってみたら・・。飯があれば、簡単に
　　作れる・・、と言ったので、買物に行ったかもしれない。

　　自分で何か作るように、家に「ホットケーキ・ミックス」の粉が一袋あったから、
　　それも持って行ってある・・・。

　　要は、自分で、一歩前に進むか、どうかなんだけど・・・」


　▼「ナラトさん。
　　　電話はしないのですか・・・」

　　オレは、もう一度、ナラトさんに確かめるように訊いた。

　　「うん、もう少し待ってみよう・・。
　　　いまが、踏ん張りどころだと思う・・。　どんな風にイイモトくんが考えるか・・」

　　ナラトさんは、そう言って、電話するのを押さえている様子だった。


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