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2015年01月13日20:47

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フランス社会と風刺の関係、あるいは「正しさ」と「他者」について

 フランス連続テロ事件の犠牲者を悼むデモについて、フランス内務省は少なくとも370万人がこれに参加したと発表している。日本では安保闘争(1960年)のときに国会がデモ隊によって包囲されたことがあったけれど、それでも規模は13〜33万人の間だった。その数十倍の規模である。

 今回、テロの発端となったのはフランスのメディアによる風刺だった。これに対する暴力は、「表現の自由」に反する行為といえる。ただ一方において、メディアが面白おかしく他者を扱うことは誹謗中傷に当たるのではないかという声も聞かれる。

 政治や社会の問題について、新聞などのメディアが批判の矛先を言論によって向けるというのは、特にフランスにおいては革命時代から行われてきたものだった。フランス革命を指導した人々は、弁護士などに加えて、マラーやデムーランといったジャーナリストたちも数多く含まれる。彼らは新聞を発行して、貴族や聖職者たち、王族や王党派をこき下ろす主張を繰り広げた。そこには根拠の薄い話や、誹謗中傷といってもいい言説も含まれていたし、肥え太った貴族や聖職者に対して痩せ衰えた民衆といった風刺画も描かれた。

 政府や他者を批判する道具として、言論や風刺はフランス社会にとって密接なものであったし、それゆえにテロ事件が起きたあとでも、彼らは筆を折ることをやめない。声をあげ、筆を執ることの「正しさ」を彼らは信奉しているかのようにみえる。

 もっとも、それは「他者」にとって、一緒に笑えるものかといえば疑問も残る。近代日本の姿を風刺画にしたジョルジュ・ビゴーもまた、フランス人であった。朝鮮を魚に見立て、チョンマゲをした武士と、中国服を着た男が釣りをしていて、向うに漁夫の利を狙うロシア人を描いた風刺画は、教科書などで誰しも一度は見たことがあるに違いない。
 こうした風刺画は、長々しい説明よりもときに一発で状況を理解させる力をもつ。けれども、描かれた人たちにとって、それをありのままに受け止めることができるかといえば、話は別だ。
 このあたりの感覚の違いが、フランスの「正しさ」をめぐる支持と反発をより際立たせるものになっているのではないか。

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■フランスで200万人行進、反テロへ結束 各国首脳らも
(朝日新聞デジタル - 01月11日 21:56)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3221520
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