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2014年12月27日18:27

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帰省と連絡船

 今日から九連休という会社も多いようで、横浜は昨日の夜あたりからキャリーバッグを押して電車やバスに乗り込む人たちを大勢見かけた。昔ほどは帰省でごった返すことも減っているのかもしれないけれど、やはりお盆や暮れ・正月を故郷で迎えようという人はたくさんいる。

 私が子どもの頃、四国はまだ本州と橋でつながっておらず、飛行機もいまほど利用されていなかったから、帰省といえば連絡船だった。東京から六時間近くかけて岡山まで新幹線で向かい、そこから在来線に乗り換えて港へ向かう。駅のホームから連絡船乗り場まで、帰省客は全速力で走る。連絡船の座席を確保するためだ。
 そこからは一時間の船旅。屋上でうどんをすするのも風物詩だった。コシのないうどんだったけれど、旅情を演出するものとして、人々の記憶にとどまり続けている。
 そして高松に着くや、そこから愛媛・高知・徳島に向かう人たちは列車の座席のためにまた走る。帰省それ自体が恐ろしく体力を消耗するものだった。それでもみんな帰らずにはいられなかった。

 いまは羽田から空路でひとっ飛び。新幹線も速くなった。本州と四国も、船ではなくバスや自動車、列車で移動できる。昔ほど、帰省も大変ではなくなった。

 それでも、連絡船のあった頃のほうが、町も人も活気があったような気がする。思い出補正もあるに違いないのだけれど、新幹線の自由席通路で六時間立ちっぱなし、それから乗り換えのたびに走り回ってでも帰っていたあの時代のほうが、人々が生き生きとしていたように感じられてならない。
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