mixiユーザー(id:2502883)

2014年12月20日14:19

50 view

百年前の日本と駅舎

 いまから100年前の1914年は世界史的にも大きな意味のある年だった。第一次世界大戦の勃発がこの年の夏。短期間で決着がつくと思われていたヨーロッパ列強の戦いは、まもなく長期化の様相をみせはじめた。
 100年前の日本はどうだったか。年表を眺めれば、日清戦争・日露戦争に勝利し、「坂の上の雲」に手が届いたかのように思われるかもしれない。けれども実際は、膨大な戦費の返済に窮し、国家財政は破たんの一歩手前にあった。そうしたなかで起きたヨーロッパの戦争は、日本にとって軍需物資や造船需要が舞い込む「天佑」と映った。日本経済は一気に拡大し、空前の好景気に沸くことになる。

 同じ年、宝塚歌劇団(当時は宝塚少女歌劇)が最初の公演を行っている。のちの阪急電鉄生みの親、小林一三の肝いりで結成され、戦前・戦後を通じて舞台歌劇の華となった。鉄道会社が温泉地に劇団を作るというビジネスモデルは、各地域にも広がっていく。
 また、三越が本格的な百貨店として日本橋本店の新館をオープンさせたのもこの年。エスカレーターの導入は日本初で、三越にはお馴染のライオン像も登場している。

 このように、日本のモダニズムは、この頃から形づくられ、昭和初期において頂点に達した。鉄道・デパート・芸能は、近代都市の土台として機能していき、その発展は戦後においても継承されていく。

 また、東京駅と同じようなレンガ造りの豪華な駅舎が翌年(1915年)、開業する。それが横浜駅である。鉄道は、新橋と横浜を結ぶ路線がはじまりだった。それは東京都心から港に向かうための移動手段であったが、鉄道の延伸によって当初の横浜駅は位置的に不便になっていたのである。そこで、駅を北東に移動させ、もともとの横浜駅を桜木町駅に改称した。
 ところがその8年後、関東大震災によって横浜は灰燼に帰し、二代目横浜駅も焼失してしまった。その後、横浜駅はさらに北に移動し、現在の場所となる。ちなみに駅のあった場所にはマンションが建っている。その敷地内に、駅舎の一部が遺されている。

-----

■記念Suicaで大混雑、販売停止 東京駅100年
(朝日新聞デジタル - 12月20日 11:04)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3194554
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する