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2014年12月19日13:47

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「クリスマスまでには帰れる」

 今年(2014年)は、第一次世界大戦が勃発してからちょうど百年になる。日本ではあまり馴染みの薄い戦いではあるけれど、ヨーロッパを主戦場にした四年余りの大戦の世界史的意義は、とても大きい。

 よく知られているように、第一次世界大戦はオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公夫妻の暗殺をきっかけとしてはじまった。もちろん、戦争に至る背景にはバルカン半島の不安定な情勢があり、ドイツ、ロシア、イギリス、フランスなど列強の不協和音があった。けれども当時の人々は、経済的にも社会的にも緊密になったヨーロッパ諸国が戦争する可能性は低いという認識であり、その楽観がかえって各国の指導者、民衆たちを強気にさせていたのかもしれない。

 また、列強諸国の宣戦布告とともに動員がかかっても、「戦いはこの年のクリスマスまでには終わる」という見通しが支配的だった。愛国心に溢れた若者たちが進んで従軍に志願したのも、この頃である。反戦論もあるにはあったものの、各国の労働者に団結を呼びかけていた社会主義者たちでさえ、いざ戦争になると国家を第一に考えるようになる。反戦論者は非国民として強く非難された。

 戦いの行方は戦端が開かれた一か月後、早くも不透明になった。フランス北東部でドイツ・フランス両軍が激突したマルヌ会戦において、進撃をつづけていたドイツ軍はフランス軍を突破することができず、またフランス軍もドイツ軍に決定的な打撃を与えることができず、戦線は膠着状態になった。両軍は互いに陣地を築き、塹壕戦を行うこととなる。大戦は長期化の様相を呈してきた。

 その後、戦線はヨーロッパの東部・西部にとどまらず、世界中に広まっていく。戦争の長期化と、殺傷能力の高い兵器の開発、機動力の変化などによって、犠牲者は数千万人に及んだ。衛生状態の悪化によって、スペイン風邪が世界的に流行し、日本でも多くの人たちが亡くなった。

 そんな悲惨な戦争において、クリスマス休戦は数少ない「いい話」として語り継がれている。ただ、公式の休戦というわけではなく、戦争に志願したドイツ人やイギリス人がそれぞれ遠い故国を思って家族に手紙を書き、つかの間の休息を楽しんだのだろう。「クリスマスまでには帰れる」と考えていた彼らにとって、現実はあまりにも過酷であった。

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