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2014年08月10日17:14

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【映画】 「ゴジラVSメカゴジラ」 (1993年、東宝)

今日は台風の影響でほぼ1日中雨と風が強い天気なので、昨日に続いて自宅で過ごし、たまっていた未見の「ゴジラ」映画を観た。今日観たのは「ゴジラVSメカゴジラ」(1993年、東宝)である。

音楽だけは先日7/21の「伊福部昭百年紀コンサートVol.2」で聴いたが、映画自体を観ていなかったので、今日ようやく観たのである。(百年紀コンサートについては下記の日記参照)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929798621&owner_id=12784286

ここまで書いて分かるように音楽は伊福部昭である。やはり「ゴジラ」映画に一番合うのは伊福部の音楽だ。メカゴジラは、いわゆる「昭和シリーズ」で「ゴジラ対メカゴジラ」、「メカゴジラの逆襲」の2作品で登場する。(ちなみに前者の音楽は佐藤勝、後者は伊福部昭) 昭和シリーズの2作ではゴジラは人類の味方で、メカゴジラは宇宙人(ブラックホール第三惑星人)の対ゴジラ用ロボットという位置付けだった。宇宙人の侵略兵器だったのである。今回は立場が逆だ。ゴジラはあくまでも人類社会に危害を加える怪獣で、メカゴジラはそのゴジラを倒すために人類が作った戦闘ロボットなのである。

観終わっての感想は、思ったりよりもいい映画だったということだ。伊福部昭の音楽の効果も大きい。

ゴジラ対策に、国連G対策センターやGフォースチームが筑波に設立された。国連の施設が日本に出来た訳だ。「ゴジラVSキングギドラ」で海底に沈んだメカキングギドラを引き上げ、23世紀の技術を解析して、究極の対ゴジラ兵器メカゴジラを作り上げる。(前々作からストーリーがつながっている訳だ。)

ここでメインタイトル。もちろん伊福部の音楽! 「メカゴジラのテーマ」で幕開けだ。

メカゴジラの前の戦闘兵器1号機(ガルーダ)は、機敏性はいいが戦闘能力に課題があるとしてお蔵入りとなった。その開発を担当した青木(高嶋政宏)はGフォースに転籍させられる。翼竜プテラノドンおたくの、頼りなく見える青年だ。

一方、京都の生命科学研究所のメンバーは、ベーリング海の島で、孵化後の卵の殻と孵化前の卵を見つける。ここで突然ラドンが姿を現す。もちろん「あの音楽」に乗って。さらにゴジラまで登場する。もちろん「あの音楽」に乗って。ここでゴジラとラドンが戦い、ゴジラの勝利となる。研究所のメンバーは卵を持ち帰る。

翼竜おたくの青木は、この卵のことを知って、勝手に休暇を取って研究所を訪ねるが、研究所の五条梓(佐野量子)に追い返されてしまう。だが研究室にあった、卵に付着していた植物の化石をこっそり持ち帰ってしまう。三枝未希(小高恵美)はその化石から何かを感じ、ある音楽が発信されていることが判明する。古代の宇宙の根源から響くような音楽だ。(こういう音楽も伊福部昭の得意とするところだ。)

高島忠夫は高嶋政宏に向かって「君がGフォース? なんだか頼りなさそうだな」という(笑)。いや、精神開発センター所長が、センターを訪れたGフォース隊員に言った台詞だけどね。

精神開発センターの三枝の後輩だという女性2人(今村恵子、大沢さやか)が、モスラとともにいるインファント島の小美人コスモスにそっくりなのは気のせいか(笑)。

さて、この音楽をコンピュータで再生すると、突然卵が孵化を始めた。そして卵からゴジラが生まれる。(これはミニラとは明らかに造形が異なる。昭和ゴジラシリーズは無かったことにしている(?)平成シリーズらしい) ラドンの卵ではなくゴジラの卵だった。ラドンの巣に托卵されていたのである。

その直後、ゴジラが四日市に上陸する。早速メカゴジラの出番だ。しかし第1ラウンドはゴジラの1勝。自慢のメカゴジラも機能停止に陥って戦闘不能となった。ゴジラはそのままベビーゴジラのいる京都に向かっていく。京都タワーのようなチャラチャラしたもの(?)はすぐに破壊されたが、清水寺は壊さなかったようだ。逃げる観光客も、「清水の舞台」からは誰も飛び降りなかった。ベビーゴジラが何やらテレパシーでゴジラを呼んでいると察した研究所員は、ベビーを地下に移すと、諦めたゴジラは大阪湾へと消えていった。

五条はすっかりベビーゴジラの母親代わり。ゴジラもベビーなら可愛い動物だ。

ゴジラとの戦いの際に休暇を勝手に取っていた青木はGフォース隊員を解任され、駐車場係に左遷される。しかし、メカゴジラの弱点である機敏性を補うには、失敗作とされたガルーダが使えると確信した青木は、駐車場にきたロボット開発責任者アシモフにさりげなく進言、晴れてロボット開発チームに復帰する。

一方、ゴジラがベビーゴジラを求めていることを察したGフォースは、ベビーを囮にしてゴジラをおびき出す作戦を計画する。しかし、五条も三枝も賛成ではない。女性2人はベビーを通じて何かが変わったのだ。三枝がいう、「今まではゴジラを倒すことが人類に貢献することだと思っていたが、考えが変わった。」

結局囮計画は実行されることになる。ベビーゴジラは五条の付き添いのもと、空輸コンテナで運ばれる。その時、卵に付着していた植物が発していた音楽を精神開発センターの子供たちが歌ったことでラドンが復活する。ファイヤーラドン(フェニックスか?)だ。ラドンは青森、仙台を経由して関東に向かい、コンテナを奪い取って千葉の幕張へと降り立った。

再びメカゴジラの出番だ。ガルーダも登場してタッグを組み、ラドンを倒すことに成功するが、今度はすぐにゴジラが現れる。ガルーダと合体しスーパーメカゴジラとなり、ためらいながらも「任務」に応じた三枝の感知したゴジラ腰部の第2の心臓を狙い撃ちして、第2ラウンドはメカゴジラの勝利だ。

しかしコンテナから五条とともに助け出されたベビーゴジラがラドンをテレパシーで呼んでいた。瀕死のラドンは最後の力を振り絞り、瀕死のゴジラの背中に付くと、ゴジラに自らのエネルギーを注入して風化する。ラドンの力を得てゴジラの第二の心臓が再生する。Gフォース司令官(中尾彬)の台詞にもあるように「そんなバカな」だが。

同じ巣から生まれたベビーゴジラとラドンは、いわば兄弟だという訳だ。

復活したゴジラは、力強い咆哮をあげ、おなじみの伊福部昭の「ゴジラのテーマ」(やはりこの曲はゴジラ映画には不可欠だね)に乗って歩き出す。

ゴジラVSメカゴジラの第3ラウンドだ。勝利はゴジラ。メカゴジラは完全に機能破壊されてしまう。隊員が全員無事なのがやっとだ。(メカゴジラの計器は「生存者ゼロ」を示したが、「おあいにくさま。誰も死んではいないよ」)

結局何だったのか。それは、「命あるものと命ないものの戦いで、命あるものが勝っただけのこと。守るべき命があるから勝ったのだ。」

三枝のテレパシーでベビーを「本来いるべき場所」に帰す。ゴジラ親子が静かに海に帰っていく。宇宙の根源から響くような伊福部昭の音楽に乗せて。

ゴジラ映画と伊福部音楽は一体のものだ。昨日観た1984年「ゴジラ」と比べると、その差がよく分かる。この映画のテーマは、命あるものへの愛情だろうか。単なる怪獣退治の映画ではない深いものを感じさせてくれる。(音楽が伊福部昭だと、映画全体がつい褒めモードになってしまうが、正直な感想だ。)

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