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2014年03月21日22:13

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【散策】 行徳散策

昨年の12月に浦安に行ったが、今日はその隣りの行徳を歩いてみることにした。行徳は市川市の一部であるが、市川市の中心地区とは江戸川で隔てられていて、むしろ地続きの浦安との関係が深い。行徳町が市川市に併合されたのは昭和30年である。かつては行徳塩田と呼ばれる塩田が広がっていたことで知られ、塩浜、本塩、塩焼など、「塩」の付く地名にその名残を感じる。浦安については、山本周五郎の『青べか物語』のような、イメージを掻き立てる物語があったが、行徳については、浅学にてそのようなものは知らないので、「予備知識」無しで歩いてみる。

東西線に乗って行徳駅で降りた。この駅で降りるのもかなり久しぶりだ。駅周辺は浦安とも似た雰囲気がある。まずは旧江戸川の方に向けて歩いてみる。ごくありふれた住宅地の中に神社がある。押切稲荷神社だ。本殿の御尊体は十一面観世音菩薩ということで、ここは神社なのか寺なのか神仏習合である。境内にある大イチョウ(千壽銀杏)が存在感を放っているが、人気はなく静かだ。

少し歩くと行徳街道にぶつかり、さらに少し行くと旧江戸川だ。川の向こうは東京都である。ここにも小さな小さな神社があり、豊漁、海難除けの神を祀る湊水神宮である。このあたりは行徳河岸と呼ばれる貨物船専用の船着場があったところだという。現在は排水機場になっている。

行徳街道に戻り、少し脇に入ってみると「おかね塚」がある。かつて、ある船頭が「おかね」という女性と末を契り、年季の明けた「おかね」は船頭が来るのをずっと待っていたが、ついに船頭は現れず、「おかね」は病死してしまう。それを憐れんだ人々が手厚く供養したのだという。偉人や功労者の墓ではない。しかし、こんな所にも行徳の町の空気が感じられるのである。行徳にとっての功労者といえば田中幸之助氏はその一人だろう。総武線が行徳から外れたルートで開通し、行徳の町が寂れていくのを懸念した田中氏は、東西線の誘致に奔走し、その結果行徳駅が設置されて、今日の行徳地区発展の礎を築いた。田中氏の誕生の地も小さな稲荷になっており、「ぽっくり蛙」というユーモラスな石像や「人生八十過ぎたら元気で百まで」と書かれた碑と並んでいる。

行徳街道をさらに歩くと豊受神社がある。もちろん豊受大神をお祀りする神社である。このあたりの地名が伊勢宿というのも、何か伊勢との関係がありそうだと思うが、残念ながらそれ以上は分からない。行徳街道沿いは普通の住宅街ではあるが、注意してみると由緒ありげな旧い家があちこちにある。近寄って見てみると、説明看板があり「有形文化財に指定されている」などと書いてある。まず目に付いたのは浅子神輿店店舗兼母屋である。国登録の有形文化財だ。説明文によれば、神輿製作は行徳の地場産業の一つなのだそうだ。その向かいには後藤神具店と後藤仏具店が軒を並べている。ここでも神仏習合だ。

少し歩いて旧江戸川の方に行くと、行徳のシンボルとも言える常夜灯がある。かつての船着場跡だ。この常夜灯は市の文化財に指定されている。成田山詣でに向かう人で大変な賑わいを見せた場所だという。この常夜灯は絵にも描かれ、説明文によれば、「江戸名所図会」の中の「行徳船場」として描かれた他、広重や崋山なども描いている。渡辺崋山のは「四州真景図巻」の中のスケッチである。今は常夜灯の周りが小さな公園になっている。その常夜灯(船着場)の近くにあるのが笹屋うどん店だ。かつては、行徳に来てこの店に寄らない人はいないと言われるほど繁盛し、十返舎一九も立ち寄っているという。残念ながら今は営業していないが、建物はそのまま残っている。そんなに繁盛した店のうどんなら食べてみたかった。

行徳の家の特徴なのか、旧い家には煉瓦塀が多い。国の有形文化財に指定されている加藤家住宅主屋も煉瓦塀の家だ。この家の主だった方がどのような方かは説明がなかったが、煉瓦塀のある旧い家ということで文化財になっているようだ。その加藤家住宅の向かいにあるのが神明神社で、祀っているのは豊受大神で、本行徳四丁目の鎮守様だという。小さなコミュニティ毎に神社があり、それがこの町の雰囲気を作り出しているようだ。境内には大イチョウがある。保存樹木になっている。

新しい看板もあり自動販売機も置かれた酒屋を見つけた。建物は文化財に指定された物と同じような感じだが、これは今も営業している現役の店なのだろうか。この時間は閉まっているので分からないが、文化財云々と書かれた説明文は見当たらなかった。寺町通りが分岐するあたりにあるのが神明(豊受)神社である。本行徳の総鎮守であり、行徳五ヶ町の大祭の時に、この神社から神輿が出発するという。この神社は金海法印という山伏が建立したのに始まると言われており、金海法印は大層徳が高く「行徳さま」と呼ばれていたという。行徳という地名もそれに由来するという。説明文を読んで知った。

ここで寺町通りに入ってみる。名前の通り寺が多い場所である。神社巡り(?)の次は寺巡りだ。妙頂寺、妙応寺と並んでいる。「妙」の字が入っていることから分かるように日蓮宗の寺だ。今日はお彼岸の中日であり、いつもはひっそりとしているであろう寺も、今日は訪れる人が多いようだ。妙応寺では七福神の石像があり、七福神が一ヶ所に集まっているので一度にお参り出来るのだという。さらに歩くと徳願寺だ。これは少し大きな寺である。本尊の阿弥陀如来像は頼朝の室政子が運慶に命じて作らせたものだと伝えられているらしい。また、湛慶作の閻魔大王像があったり、宮本武蔵の描いたという書画や、円山応挙の描いた幽霊画などもあり、なかなかな寺のようである。立派な山門は市の文化財に指定されている。その徳願寺の向かいにも常運寺という日蓮宗の寺がある。文字通りの寺町通りで、まだまだいくつかの寺があるが、このぐらいにしておくことにする。

大通りを超えると、旧き時代の面影が残る町から一変して平成の町になる。このあたりの地名は「妙典」であり、日蓮宗の寺との関係が窺えるが、妙典駅が出来たのは平成12年であり、駅の開設とともに駅周辺が発展した。どこにでもありそうなありふれた現在の郊外駅である。どことなく趣がある隣りの行徳駅周辺とは明らかに違う空気を感じた。急に風が強くなってきたが、そのせいで東西線は地上区間の一部で徐行運転をしているという。妙典駅から東西線に乗って、行徳の町を後にした。
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