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2014年02月25日00:51

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『小さな美術館について』



不思議ですね、記憶というものは。

この世に産まれてから、私が覚えている最初の記憶では、母に手を引かれている私が、今思い出している私の方を向いているのです。それは、幼い私の眼で見た景色ではなく、姉を幼稚園に迎えに来た母と息子の姿としての映像を、映画のような構図で、明らかに、写真や記憶を混ぜ合わせて処理され私に見せ始めているのです。

母に手を繋がれていない右手の指は鼻に差し込まれ、一、二年後に幼稚園の庭に整列して、やはり同じように鼻に手をやる自分の横顔をうっすらと見ながら、何を考える様子もなく姉を待っている。今、幼稚園児の私が、やっとの思いで鼻から取り出したものを口に運びました。母が身震いしています。列の後ろに並ぶ子が、私を指で突き始めました。母は体の小さな私が、これから幼稚園でいじめられるのではないかと心配しています。後ろを振り返った私は、いたずら小僧を睨みつけました。それを見た母は安心しています。見られた私は踊って誤魔化しています。

「昭は、ひょん毛者で意地坊。」
その時に、母の持つ私へのイメージが出来上がったようなのです。

その後、記憶は年長うめ組のお弁当の時間に飛びます。
黙々と食べている私の横顔。突然男の子が私の向こうで手を上げます。誰なのか、遠すぎて見えません。
「先生、昭くんはネズミみたいです。」
うめ組のみんなが笑っていますが、私は自分が何故ネズミなのか分からず、いぶかしげに眉を曲げた後、向き直り、ネズミみたいにまた食べ始めるのです。
「なべ先生はパンダみたい」に笑っています。

途切れゝの記憶は、長い時の間に構図が好き勝手に書き換えられ、私専用の小さな美術館のなかで、やわらかな照明のもとに飾られていくようです。





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