●2013年12月15日(日) 未明
▼きょうも、自分の、過去の「日記」を読み、そこからリンクされた
ページや関連した「日記」を読んでいる。
自分で書いた「日記」ではあるが、日記を書いている「自分」を
背中の後ろの方から眺めて見ている、もうひとりの「自分」が
いるような感覚で、過去の「日記」を読んでいる。
「ナルシズム」でも、「回顧」でも、こちらの「懐古」でもない。
自分ではあるが、時と所を隔てた、時空を別にする自分を見るように
見ている。
▼妻の様子を見に居間に行くと、「数独」をやめ、炬燵に深く潜り込み
うたた寝に入るところだった。
「アンタ、どないしたン。眠たいンちゃう? アンタもここに寝り!」
と言う。
「寝り」は「寝る」の命令形で、NHK朝ドラ『カーネーション』で
岸和田あたりの方言として使われていた。
この命令形は、私の故郷の淡路でも使うことがあり、このドラマを観て以来、
我が家では、「寝ろ」でも「寝よ」でもなく、「寝り」が使用されている。
2時半くらいまで、寝た。
しばらくして、妻は寝間に行った。
▼「家の中」はどう変わったのだろう。
あちこちの「日記」も読んでみた。
「家の中」(7)に『春を待つ』というリンクがあった。
・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=69687930&owner_id=1040600
私はサン・テグジュペリ『星の王子さま』を、結婚する前の妻に贈った。
「大事なことは目には見えない」というメッセージを
伝えたかったのだろう。
しかし、実際は「家の中」に書いたとおりであり、
『春を待つ』という日記に書いたことが起きた。
▼「星の王子さま」についても2回書いている。
・『狂人日記』(4)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1230112566&owner_id=1040600
・「大人はどこに行ったか」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=63831166&owner_id=1040600
▼『星の王子さま』の献辞はこう結ばれている。
おとなは、だれも、はじめは子どもだった。
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない)
そこで、わたしは、わたしの献辞を、こう書きあらためる。
子どもだったころの
レオン・ウェルト に
NHK・TV 100分 de 名著『星の王子さま サン=テグジュぺリ』の
見開きに、彼の写真が載っている。
そして、「☆ 永遠の少年」と添え書きしている。
しかし、人は「永遠」に子どもであるはずはなく、少年であるはずも
ない。 いつかは大人にならなければならない。
▼この「本」・『星の王子さま』をはじめて読んでから、もう50年以上
たとうとしている。
いま、「再読」しているところである。
日記『家の中』を読み返し、そして『星の王子さま』を読み返し、
私は、この「本」の献辞を、「大人になったレオン・ウェルト に」と
書き換えることができるような、そんな「大人」になれたのだろうか、
と思うのだ。
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