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2005年12月14日03:04

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●intermission/ 「大人はどこに行ったか」 (3)

■成熟

 ・「まっちゃん」のページに、たまたま映画「ある子供」が
  紹介されており、そこに「大人になれない時代」ということばを
  使ってコメント書いた。
  (注:当初「ある少年」と誤記していましたが、「ある子供」に訂正)

 ・すると、これもたまたま、その日の歯医者の帰りに本屋で

  野村一夫「未熟者の天下 −大人はどこに消えた?−」

  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%96%A2%8F%6E%8E%D2%82%CC%93%56%89%BA

  を見つけた。

  カフェ・グレイスで、この本を読み始め、この「大人はどこに行ったか」を
  書いている。


 ・著者が言っているように、これは「若者論」ではない。
  「大人論」である。「若者論」を論じる側の「大人」について
  「大人とは何か」を問うたものである。

  サン・テグジュペリの「星の王子さま」は、、むかし
  「子どもだったころのレオン・ウォルト」に捧げられているが、
  この本は、その逆なのだ。つまり、

  「大人になれない大人」に、「そもそも大人はどこにいるのか」と
  問う。

  そして、

  「しかし、答えはかんたんだ。大人はどこにいるかと言えば、
   若者から出てくるのである」

  と、喝破する。


 ・「かつての若者」が「今の大人」であり、だとすれば
  「大人になれない」のではなく、新しい世代に見合う
  「大人」をまだ発見できていないからではないか、と
  振り返ってみる。


  そして、「団塊世代」のあとの「しらけ世代」の筆者は、
  かつて「大人になりたくない若者」であった自分が、
  いまだ「未成熟」ではあるが、「大人」になる道はあるのでは
  ないかと問いかけ、「大人という宿題」を自分の胸におさめ
  生きていこうとする決意とその姿勢を語っている。


 ・私は、野村さんとは、ちょうど十歳ちがう。
  私の妹は、わたしより六つ年下だったが、それより
  さらに四歳年下である。
  妹と私は、同じような気質をもっていても、考え方は
  ずいぶんちがった。

  つまり、私は、年齢が上下ということことでなく、生きてきた「時代」が
  ちがうということ、「世代」について言っている。

  生まれた年、すなわち、いまの年齢によって「大人」にたいする
  考え方も異なる、ということが言いたいのだ。

  だから、氏のいうように「世代」あるいは「時代」によって
  「新しい大人」が生まれる必要もあるのだ。


 ・氏とわたしの大きな違いは、私たちの時代には、実際に
  「大人」がいたし、そして、私はその「大人」たちを、
  心底「大人」だと思った。

  そして、いまも「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」と思っている。


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