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2013年03月17日23:55

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「ラファエロ」展/国立西洋美術館

(続き)

東京都美術館の後、砂埃巻き上げる強い風の吹く上野公演を眼を押さえつつ国立西洋美術館に向かう。
晴れた午後、気温は21℃にもなったが、つむじ風のような風はケヤキやらの枯れ枝をあちこちに落としていた。
前の日記で書き漏らしたが、朝私が乗った山手線は、落ちた枝が走行の妨げになった為とか、御徒町駅で5分以上停車していた。推移によっては歩こうかとも考えた程だった。

「ラファエロ」展は、実は上京前、間際迄行くかどうか迷っていた。が、ここでも私の貧しい教養主義が頭をもたげ、「ラファエロ全23点」にはそうそう巡り会えないのではないか、と、決心した次第である。

・会期 3/2〜6/2

ラファエロの、如何にも調和が取れ安定した(違う言い方をすると”トゲのない”)盛期ルネサンスの作品や、彼の人生から、どんなテーマが、この現代において成立し得るか。
その問題提起がこの展覧会の告知からは感じられず、それが、私の逡巡の元凶だった。
優れた展覧会は、ただ作品を集めるだけでなく、その作品達の、または作家の、現代に生きている我々にとっての意味を問うてもいる。
確かに彼の借用しにくい作品を一堂に見せる事はそれだけで意味はあるに違いないけれども、ただラファエロを観るというだけなら、私は、2009年秋のイタリア旅行でかなりの点数を観ている。今回の目玉の『大公の聖母』(1505-06)にも、所蔵元のピッティ宮パラティーナ美術館で会っている。

・・・まあともかく、行く前に何を言うより、行って、観て、確認する事だ。


私は今展の作品の数々を観ながら、相当数の?がランダムに浮かんできた。ここではその?について考えを巡らしてみたい。
できれば、その幾つかでも、このレポートを書くに際して解明したいと思っていたのだが、それはままならなかった。

(1)まず、随分基本的で次元の低い?だが、彼の名は、ラファエル・サンティ(Santi)なのか、サンツィオ(Sanzio)なのか?
いろんな書物に当たるが、それらは何れである事もある。どちらも間違いではなさそうだが、しかし、何れを使用するかという立場については、それぞれの場で明確にされてしかるべきだ。
当展の会場ではサンツィオにまとめられていた。が、HPにはサンティの使用もある。
父親の名は、ジョヴァンニ・サンティ。その線で言うなら、サンティが正しかろう。もしくは、イタリア語にこれに絡む文法があるのだろうか?
しかし、彼のサインにはラファエロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノというのが目立つようだ。
彼はいつからどんな狙いでサンツィオを使い始めたのだろうか?
この?は大分以前から持っていたが、その答えを示した書物等、目にした事はない。

(2)今回の会場の1番始めにあるのが『自画像』(1504-06)である。ウフィッツィ美術館蔵。
自画像だと証拠立てられている訳ではないが、今展には来ていない『アテナイの学堂』(1509-10)の右隅に描き込んでいる顔がこの絵とよく似ている事から、恐らくは『自画像』で正しいのだろう、と。
それはいいのだが、この肩から首が何だかヘンだ。身体は一体どちらを向いているのだろうか?画面奥を向いてこちらを振り返っている?それとも正対している?顎の下辺りに喉仏があるから、正対していると見るのは奇妙だ。
奥を向いているとすると、首はこんなに曲がるものだろうか?
それとも横向き?だとすると肩のラインが奇妙だ。
絵を観ていて、どうにも落ち着かない。

(3)『エリザベッタ・ゴンザーガの肖像』(1504頃)、ウフィッツィ美術館蔵。
この女性は、ウルビーノ公爵フェデリーコ3世の息子グイドバルドに嫁いだ、マントヴァ君主フランチェスコ2世の妹である。結婚は1489年、18歳。
ラファエロの父はウルビーノ公の宮廷画家であるから、彼にとってもお抱えのご主人様の家系に当たる。
普通でも貴族の肖像画は、理想化し美しく描くのが当たり前だが、益してや、お抱えの主人の大事な家族である。相当美人に描いて当然だ、この絵が描かれた時が33歳であったとしても。
後世からは、教養と美徳を兼ね備えた貴婦人との人物評がある。
ところが、このエリザベッタときたら・・・。

また、キャプションは、この絵の前に展示された『リンゴを持つ青年』(1504/ウフィッツィ)との共通性を指摘していたが、具体的に何処が共通するのかは書かれていない。青年は3/4斜め正面図だが、夫人は100%正対である。確かに背景の描き方は空気遠近法を用い、遠景は青味がかっているが、共通性はそれだけ?
青年の方は『モナリザ』のように手迄書き込まれているのに対し、夫人は手の上で切られている。
『(フランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレの肖像?)』と彼のタイトルには書き添えられている。この名前は、エリザベッタが、1504年に政略的に養子に迎えた男の名だが、(?)付きになっているという事は、恐らく、他に物証はなく、制作年だけから来る推測に過ぎないのだろうと思わせる。

(4)『大公の聖母』(1505-06)、パラティーナ美術館蔵。
この絵では、最近のX線と赤外線による調査結果が示されていて、大変興味深かった。
それによると、背景の黒は後年誰かによって塗り込められた、元々は、聖母子の後ろには窓を含む室内が描き込まれていた、との事。調査写真も並べられている。
数あるラファエロの聖母子像では、この絵以外に背景が真っ黒というのはないそうだ。
X線では、背景の室内に絵具の剥落があるのも判り、黒で塗り込めた人物は、恐らく状態の救いにもなると考えたのだろう、とあった。
誰かは知らぬが、無茶な事をしたものだ。
美術品の保存という事については、現在のような考え方になったのは20世紀になってからで、19世紀でもこうした大胆な(勝手な)手直しはされていたと理解していい。
それにしても、専門家を含め人の目というのはいい加減なものだ。『大公の聖母』の価値評価は、この黒い背景によってこそ聖母子の孤高性や気高さが増していると考えてきた筈だ。

話しは変わるが、この幼子イエスの足首、奥の右足の方がこちら側の左足より手前にあるように見えるのだが、それで間違いないのだろうか?イエスは足首を交差しているのだろうか?
また、マリアの右腕は、その肩から肘の長さが尋常でない程長く見えるのだが、これはラファエロが意識してそうしたのだろうか?だとしたら随分マニエリスムを先取りしている。

(5)『無口な女』(1505-07)、ウルビーノ・マルケ州国立美術館蔵。 (→写真1)
「無口の女」とはまた随分なタイトルだ。モデルが誰か判らず、またその風貌によって付けられたのだろうが、絵としては実に素晴らしい出来だと思う。今展の展示作品の中で最も高い評価を私は付けたい。
こうした髪やらブレスレットの組み紐等の質感は、短い時間で一気には仕上げられない、相当な時間をかけなければ。
またこの絵は、聖母子のように甘やかにしていない、ソフトフォーカスしていない、美しく見せるという事を目的にしていない。注文主や上級階層とお付き合い上手と言われたラファエロが、社交は措き、ただの1画家としてへとへとになる迄真摯に描いている熱意が伝わってくる。この絵には、彼の工房は殆どタッチしていないだろう。

しかし、会場のキャプションはひどい。遠回しで、実際に何を言いたいんだか判らない。短いスペースで表現しようとするならば、もっと直截に言わなければ。
下に、問題箇所をそのまま掲載すると、
「4本の爪のついたルビーの指輪は15世紀の流行、一方、埋め込まれたサファイアの指輪はより後の時代のスタイルである。衣裳は15世紀後半から16世紀前半、フィレンツェやウルビーノの女性たちに好まれていたものだが、科学調査によると、もとは、襟ぐりがより大きく開き、肩に多くの飾りが施された姿で描かれていた」。
だからどうなのか、というその先の事、一番大事な事が何も書かれていない。これで終わってしまっては、人によってあまりに幾通りもの憶測がばら撒かれてしまう。

(6)『エゼキエルの幻視』(1510)、パラティーナ美術館蔵。 (→写真2)
マニエリスムを想わせる、不安定で動的な構図。調和や安定を最重要事とするルネサンスの精神からははみ出ている。
ジョルジュ・ヴァザーリの『芸術家列伝』によれば、ラファエロの工房には50人以上がいた、と。
ラファエロの作品には工房の手が入っているものが数多い、それは定説である。
ヴァチカン美術館の『キリストの変容』(1520)のマニエリスム的な特性も、弟子達の手によるものだ。

(7)『友人のいる自画像』(1518-20)、ルーヴル美術館蔵。 (→写真3)
後ろに立つのがラファエロ(髭が生えているが)であるのは、間違いないところのようだ。では手前の男は誰か?
最近では、工房第1の弟子 ジュリオ・ロマーノという説が最も強力だとの事。ロマーノは、師の死後、彼が中心となって工房運営をし、未完成品を完成させもした。
しかし、私はロマーノ説は採らない。
前の男の左手が、向かって右下の闇中で触れているのは、刀だろう。
右手で指差しているのは、刀を向けるべき関係人物と考えるのが妥当だ。
とすると、ロマーノとは考えにくいではないか。
後ろのラファエロ説の男の左手は、前の男の肩に手を置いている。まるで刃傷沙汰はやめておけとでも言うかのように。
そして彼のもう一方の右手は、これも暗い中で見にくいが、前の男の脇を押さえている。これは、2人の関係の親密度(同性愛と迄は言わないにせよ)を暗示しているのではないか。
このように考えると、絵の中に泥臭い物語が入り過ぎていて、これはやはりラファエロではない人間の手が加えられているように感じられるのだ。


材料ばかり放り投げ、殆ど答えは出ぬままだが、「ラファエロ」展と今回の美術館巡りの小旅行については、このくらいで幕としたい。
何か手掛かりとなる事柄がありましたら、ささやかであっても是非お教え頂けたらありがたい。
そうした細部の積み上げこそが、研究の基盤になっていくのだから。

整理されないままの雑多な文章をここ迄忍耐強くお読み頂いた皆様には、篤くお礼申しあげます。


【小図録】
『ラファエロ』
編集 読売新聞東京本社文化事業部,渡辺晋輔,横山佐紀
執筆 渡辺晋輔,横山佐紀
発行 読売新聞東京本社、2013年3月
 
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