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2012年07月30日19:58

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映画『ルルドの泉で』/J・ハウスナー

7/27(金)、シネマe-ra浜松で『ルルドの泉で』を観る。

「ルルド」とは、フランス南西部、ピレネー山脈の麓に位置するキリスト教の聖地である。
ここに1858年、聖母マリアが現れ、泉が湧き、その水で病が治るという奇跡が起こったと言われている。
その奇跡が今も続いていると信じる人等で、年間600万人もの人々がこの地を訪れるという、カトリックの一大巡礼地になった。

映画はこのルルドをロケ地として使い、この地を訪れたグループの人々に起る事柄とその人間模様を描き出している。
時代設定は現代。
女性監督ジェシカ・ハウスナーは、起った事の神秘を描く事よりも、それに遭遇した人々の心理とその変化に興味を持っている。


ある修道会が主催するルルドツアーに参加する人々。
奇跡を信じ、すがる思いの重篤病者。その親。
同じように重篤病者でも、信仰という面では、深い者、薄い者。
勿論ただの観光者もいる。
孤独を紛らす為にツアーに参加している老人も。
また、病者の介護をする修道会の女性達。
その中にも、修道会に属している者と、アルバイトのようなつもりで参加している若い女性がいる。
そして、修道会の司祭と男性のツアー随行員達。

同じツアーメンバーでも、このように、それぞれの人々は質も立場も、国籍も違う。
乱暴に括ってしまえば、社会の縮図そのものである。

主人公の女性は、首から下の全身が動かず、車椅子で参加している。
彼女が、泉の水を浴びる儀式の夜に、立ち上がる事ができるようになる。
ツアーの全員から驚きの目で見られ、祝福される。
最初は一様な反応だが、次第に彼女の見方が、人によって変化していく。
何故彼女であって、私、または私の娘ではないのか。
信仰心は、あの人は薄い、あの人は濃い。
相応しいのは別の人ではないか。
本当に病気だったのか。
・・・羨望、嫉妬、不信、誹謗、等々。

グループを引率する神父も、起った事、そして、それに対する人々の諸反応に対して、的確な指導ができない。

この辺りは、ハウスナーの視線は皮肉に満ちている。
現代における奇跡、というよりも、宗教,信教の難しさが、ここに現れている。
現代にあって、一体奇跡とは何か、その問いは、宗教とは何かに繋がっていくだろう。
150年前ならまだしも、20世紀21世紀の時代の人間に、これらについて充分に納得いくよう多面的に説明し、定義づける事は至難だ。

映画にも描かれているが、ルルドにはカトリックの医療局があり、そこが、数多くの起った事のチェックをし、奇跡と非奇跡とを分別している。
滑稽である。
これ迄にルルドを訪れた人が1億人以上に上り、その中で7,000人程の人が奇跡申請をし、教会が認めたのはその内67件だそうである。
カトリックというのは、何故そんな事に血眼になってし、権威立てようとするのだろうか。
信教という心の次元の問題と、それらは全く別世界の事だ。

カトリック批判がハウスナーの本意ではないが、少なくとも、皮肉は籠められている。
ここはルルドでなくともよい、前に述べた通り、ある町の縮図であり、断面である。

主人公の女性自身も、歩けた事、手を動かせる事が奇跡かどうかは判らない。
カトリックがどう定義づけてくれようが、それと、自分の身に起きている事は別の問題である。
仕事もしてみたい、恋もしてみたい、しかし、病気が治癒したのでなく、短期の寛解かもしれない。ツアーから帰った時の自分は想像もできない。
映画は、彼女の笑みと不安をない交ぜにした表情を捉えて、終わってしまう。


監督・脚本 ジェシカ・ハウスナー
撮影監督 マルティン・ゲシュラハト
美術 カタリーナ・ヴェッパーマン
編集 カリーナ・レスラー

出演 シルヴィ―・テステュー,レア・セドゥ,ブリュノ・トデスキーニ,エレナ・レーヴェンソン 他

受賞 ヴェネツィア国際映画祭国際批評家連盟賞他5部門 他多数

2009年、仏, オーストリア,独合作
 
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