■そのとき、私は・・・(補遺)
●きょう、3本目の日記を書く。
ドクター・ストップは、まだかからない。
たまたま、マイミクの「シ」さんの日記にある記述を
見たからだ。
したがって、話は、またもや割り込みの格好となる。
●私は、「そのとき、私は・・・ 」と題して、大学時代のことを
書こうと思い、その6まで書いて、その後をまだ書いていない。
●そのとき、私は・・・
−2005年−
12月10日 ●
そのとき、私は・・・(1)/■驍將寮
12月11日 ●
そのとき、私は・・・(2)/■アルバム
12月11日 ●
そのとき、私は・・・(3)/■友人・先輩
12月12日 ●
そのとき、私は・・・(4)/■オリンピックとベトナム
12月12日 ●
そのとき、私は・・・(5)/■オリエンテーション
12月13日 ●
そのとき、私は・・・(6)/■クラブ
大学に入学した「とば口」で止まっている。
5回生の頃のことは、「敗北について」で一部書いた。
「そのとき、私は・・・」というタイトルにしたのは、
その時点で、私は何を考え、どう判断し、時代の流れの中で
どう行動したのか、を振り返ってみようと思ったからだ。
そして、詩を読むくらいで、政治や時代の情勢に疎い人間が
どう時代の中にいたのか、また、自分以外の、自分と同じような
年恰好の人々がどんなことを考え、世の中はどう流れてきたのか
そんなことを考えてみたかった。
●それで、きょう「シ」さんの日記に次のようなことを書き込んだ。
・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=145958768&owner_id=27320
私が書き込んだ事柄は、「シ」さんが書いた「恐怖!柏私立図書館」
という本筋からは少しずれるけれども、きょうの2本目の
日記にも関係し、私が日記を書く目的ともつながっているよう
なので、そう書いた。
2006年06月02日19:39 narato | 削除
☆東大紛争の記録 出版年1969年 iについて
この「本」のことは、
・島 泰三(著)「安田講堂 1968-1969」
中公新書1821 2005年11月25日発行
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=62131381&owner_id=1040600
の中にある「引用資料について」にで知りました。
・略称『闘争資料』:'68・'69を記録する会編
1992、『東大闘争資料集』全23巻
山本義隆東大全共闘議長らは、東大闘争(1968年から
1969年まで)の間に東大構内で配布されたビラを収集し、
日時順にまとめあげ、A4判に縮小コピーし製本して、
23巻の分冊にまとめ、これを国立国会図書館に寄贈した。
第1巻から第10巻までがビラ、第11巻から第13巻が
パンフレット、第14巻が議案、第15巻と第16巻が討論
資料、第17巻から第20巻が大会議案、第21巻が大学当局
の文書、第22巻と第23巻が新聞版総目録となっている。
各巻の冒頭に目次の形式で、年月日、学部名、発行団体名、
見出し冒頭、党派、文書分類の一覧がまとめられていて、
この日付に沿って、収集資料が整理されている。
その量!、ビラだけでほぼ4000件を収録している。
このビラは、学生たちが作って毎日配っていたもので、
ほとんどは1枚のガリ版刷りである。ビラは広報と宣伝の
ために作成されたもので、その時その時の学生たちの主張と
行動を知る上で手がかりになるが、事実については、それぞれの
党派の正当性を主張するアジ(扇動)が大半を占めるので
それを割り引いて読まなくてはならない。
また、当時の事情を直接知らなければ、そのビラの主張の
大半は何のことだか分からないだろう。ただ、読み通すには
この量が半端ではない。
東大闘争関係資料の収集は、早いうちから行われていた。
もっとも早く資料を出したのは、東京大学新聞研究所の
東大紛争文書研究会であり、その編纂したビラなどの資料集
『東大紛争の記録』の発行の日付は、1969年1月15日で
あり、まだ安田講堂攻防戦さえ始まっていない渦中の出版だった。
(以上、島泰三「安田講堂 1968-1969」P.341から)
ですから、「いかにも学生団体」ではなく、「東京大学新聞研究所」
の発行物かと思われます。
●それは、「そのとき、私は・・・」だけでなく、
2005年12月09日の日記、「
順不同(19)/よみつぐ (8)/居住まいを正す」
にも連動するものであった。
■案内
・
日記/「Home」案内
■参照
・
島泰三(著)「安田講堂 1968-1969」 ぬきがき
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