■身心快楽(67)
●6月29日(月) 雨
きのう昼、三日月に見えた白い月は
夕方、半月に近い白い月になり、
晩には、黄色い山吹色の月になった。
月のまわりに星が見え、ああ、これからは
天の川の夏になるのか、と思ったら
きょうは一転して、むしむしする梅雨の一日だった。
●「富士日記」の最後に。
昼休みの時間つぶしに、ほんの少しだけ「本」を読む。
坪内祐三「考える人」を読み、村松友視「夢の始末書」を読んだ。
二つの「本」に、武田百合子「富士日記」のことが書いてあった。
それがこの「本」を読むきっかけだった。
「映画」も「本」も、「ああ面白かった!」で感想のすべてのような
気分であるが、読んでいるうちに、しみじみとしたり、昔のことを思い出したり
していた。
●かつて、私もときどき日記をつけた。
たいていは鬱々としたとき。書くことで、何か自分を克服したいような気分に
なったのだと思う。
が、書けば書くほど鬱々とした。
それで発見したことは、日記をつけても、つけなくても日は過ぎていく、
ということだった。
以来、ただ日々が過ぎ去ってゆくことだけを願って
「10年連用日記」を購入するようになった。
何も書かず、空白のページばかりの「10年連用日記」は私のお守りになった。
●「富士日記」には、反省や述懐を綴らぬこと、とあった。
そして「富士日記」に書かれている日々買ったものや、食べた物の羅列を見た。
毎日のように書かれている「ごはん」や「大根おろし」や「スープ」など。
「ごはん」の文字は、きょうもきのうも同じ「ごはん」という文字なのだが、
それら同じ品々の名前さえ、ときに季節の移ろいのように見えてくる。
書く、ということは、こういうことか、と思ったりした。
●また、「夫婦」とか「家族」とか、そんなことを思ったりして読んだ。
読みながら、自分の父や母のことを思い出したり、昭和39年から
昭和51年ころに、自分がどんな暮らしをしていたか、当時のことを
思ったりした。
母は亡くなる前、日記をつけはじめた。その日記のことや、妻が家計簿を
つけていた大学ノートの隅に、日記みたいなものを書きこんでいたことなど
思い出した。
●それから、読みながら、私は近ごろ父よりも、一昨年の暮れに亡くなった
母方の叔父に似てきたような気になった。
その叔父は、法事かなにかの用事で私のところに電話してくると、
まず、必ず「機嫌ええけ?」とこちらの様子を聞いた。
そのとき、私はどんな答え方をしたのだろうかと、今、思う。
いまなら「身心快楽」、はっきり「機嫌ええで!」と答えられると思うのだ。
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