■身心快楽(66)
●6月28日(日) 続き 晴れ、昼下がり南天に白い三日月
結局、朝まで起きていて
朝飯を食べて寝た。
起きるとテーブルにビーフン炒めが置いてあった。
きょう、妻は私を起こさずに出かけていった。
昼下がり、南のベランダから見ると
横尾山の真上、南天の空に白い月が出ていて
三日月だろうか、月の右上が白く輝いていた。
高取山の山頂の右と左には、下が青づみ上に行くと薄い朱色がまじる白い入道雲の
横に広がっているのが見える。
中公園の砂場や広場の地面が照り返し、これもキラキラ輝いていた。
うぐいすが鳴いている。
明け方ほどではないが、昼にもうぐいすが鳴く。
夜が明けるとき、うぐいすに混じって、しきりに鳴く鳥の声が気になって
調べた。「ひよどり?」かと思って鳴き声を確かめたら、やはり「
ひよどり」だった。
●文庫本3分冊、上・中・下で、1400ページの「富士日記」。
<その日に買ったものと値段と天気でいい。面白かったことや
したことがあったらそのまま書けばいい。日記の中で述懐や
反省はしなくていい。反省の似合わない女なんだから。
反省するときは、ずるいこと考えているんだからな>
そう泰淳が言って書きはじめられた「日記」だった。
山にいる間だけ、ということにして、使い残しのノートや有合わせの
日記帳にぽつぽつ書きつけた。そんなノートがいつのまにか十冊ほどたまった。
それを百合子さんは、原稿用紙に書き写した。
全部を全部、書き写したのか、
書き写すとき推敲したのか、
それはわからない。
●1993年(平成5年)5月、百合子さんも肝硬変で亡くなった。亡くなるまえから、
「この中のものは私が死んだら燃やすこと」って、書いた紙が張ってある茶箱が
母の部屋に置いてあるのは、死ぬ何年も前から知っていたけど、
中を見たこともないし、そのことについて訊いた事もなかった。
と、娘の花子(花)さんが語っているようなことだった。
入院する前夜に「あの箱の中の中身は全部燃すんだよ、もし
私になにかあったら」って。
ほかにもいろいろ言われた。
茶箱の中身はノートや本の表紙は見たけど。ほとんど見ないで
富士山に運んで焚き火で燃やしました。
●花さんもエライが、百合子さんも立派だと思う。
一方、泰淳の書き残したものは「2005年(平成17年)、娘の武田花は
泰淳の残した2000点以上の資料を日本近代文学館に寄贈した。
その資料の中には、中国への従軍時の日記「従軍手帖」もあったが、
泰淳が殺人行為を犯したことが記入されていた」とある。
資料を残した泰淳も、それを焼かずにとっていた百合子さんも、
そして、母のものを燃やして父のものを寄贈した花さんも、みんな
すごいと思う。
私は、私と妹と父と母と四人家族だったが、花さんのところはたった三人の
家族である。さびしいと言えば、さみしい数の家族である。でも家族って
そんなものだと思う。
ごく普通の、そこだけの家族だったんだなーと思う。
そして、普通の、そこだけっていうことは立派なことなんだと思う。
●あと二三のことについて書いて、この『身心快楽』の日記も、もうすぐ
書き終わると思う。
あとは少し残った「富士日記」を静かに読もうと思っている。
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