■身心快楽(61)
●６月２５日(木) 晴 最高気温３０度
昼、何を食べようか？
と思う。
何もあんまり欲しくない。
あっ、カップラーメン！！
と、思う。
たまに食べると、おいしい・・、
と思うと、カップラーメンが食べたくなる。
下のスーパーで、小さなカップを選んで買ってくる。
熱湯を注いでスルスルと麺をすする。
お湯でふくらんだ乾燥具材の、肉らしきものやエビ様のものが
本物の肉やエビより、カップラーメン特融の「肉」や「エビ」になっていて
おいしかった。
汁まで飲んだ。 飲んだら、やっぱりゲップが出た。
●「富士日記」昭和四十六年 拾遺��
いま、昭和四十六年の武田山荘の「夏休み」を読んでいる。
秋の気配が漂いはじめ、夏も終わりだなーと思っている。
いつ東京へ帰ったのか「日記」には、はっきり書かれていない。
「夏休み」最後の日が、このときの「山行き」の最後の日付だとしたら
あと五日を残すだけになっている。
▼八月二日(月) 快晴
今日も真青な空。
主人の話。
「今朝早く六時ごろ散歩に出ると、向いの寮に来ているらしい父子連れが
ねまきのまま、上の道をふらふら、ふらふら、どうしていいか判らない風に
歩いていたよ」
昼 チーズトースト、スープ、トマト、じゃがいも粉ふき。
夜 ごはん、オムレツ(主人)、いわしみりん干(私)、トマト、大根レモン漬。
朝ごはんをすませて、後かたづけをして、新聞をとってきて、それから大急ぎで
河口湖のプールへ。うちを出るときから水着を着ていく。夏が惜しいから、
あわてて泳ぐ。
今日は自衛隊も泳ぎにきていた。自衛隊は、はじめ二十五メートルをタテに
泳いでいたが、上官に注意されたらしく、端の方に集まって、ヨコをくり返し
往復していた。子供たちがヨコ幅を往復しているから、タテに泳ぐと
小さい子供にぶつかるのだ。
一時間泳いで上る。
Ｓ農場で。ぶどう六房三百円、菓子二百円。
ガソリン千八百円。
夕方、草刈り。
夕方の西の空に大きく出た雲。今日テレビでみた、象アザラシのような。
タマのところに、アカシロぶちの大猫が遊びにきた。生活に疲れはてたような、
集金人のおじさんのような感じの猫。ゴロニャー、と鳴いた。ゴロニャーと
丁寧に鳴いたので、すぐ私にみつかってしまった。
夜、富士山の真上に銀白色の半月がかかる。庭が明るい。
河口湖大橋に灯りがついて、襟飾りのようだ。富士山の灯もすっかり見える。
「黒い雨」を読む。ねる前。
●向いの寮に来ている父子連れが、朝早くに目がさめて、どうしていいか判らず
寝間着のまま、上の道をふらふら、ふらふら歩いている・・。この心情、
よーくわかる気がする。高原の別荘などというものは、はじめて来た者には、
二三日もすれば、もう何もすることがない。毎日がただ素晴らしい風景が
あるだけなんだから。
でも、百合子さんはちがう。大急ぎで、家から水着も着ていって、泳ぎに行く。
ひとりで行く。夏が惜しい。
富士山麓には自衛隊の駐屯地や演習場がある。自衛隊のトラックや隊員たちと
道ですれちがったりもする。この日も自衛隊とプールで一緒になった。
一時間泳いで上る。泰淳の昼メシがある。Ｓ農場でぶどうと菓子を買う。
タマのところには、生活に疲れたような猫がやってくる。
夜には銀白色の月が出て、富士山の灯が見える・・・。
▼八月三日(火) 晴
午前四時。暗い。河口湖の方の空が朱色に染まっている。日の出る前だ。
富士山の灯がちらちら動いて見える。今日も暑くなりそう。
東京へ一人で行く。夜中から起きていた主人、門まで上がってきて
佇っている。
六時赤坂へ着く。花子は千葉の民宿へ行っている。
裏の神社の森で蝉が鳴きしきっている。東京はうすぐもり。ときどき、
かっと陽が照りつける。
暗い部屋の中にぺたりと坐って郵便物の整理や出版社への連絡などしていると、
背中と胸をたらたらと汗が流れてゆく。
アパートは物音一つしない。子供の声一つしない。裏の森で蝉が鳴きしきって
いるだけ。
坊様が大勢揃ってお経を読んでいるようだ。
今日は私の父が死んだ日だっけ。二十七、八年前になる。
息をひきとってゆく三時間ほどの間も、こんな風に暑くて、蝉が鳴いていたっけ。
五秒くらいそんなことを思い出してすぐ忘れた。
うなぎ、食料品どっさり、郵便物、雑誌など持って、一時半家を出る。
暑い暑い。くらくらするほど暑い。中央道のパトカーのお巡りさんも
休んでジュースを飲んでいる。
三時半、山へ戻る。
夜 うなぎごはん、はんぺんとみつば清し汁。
●映画『富士日記・身心快楽』を見たい、と書いたが
「八月三日」のこの日記を読むと、もうこれは「映像」である。
まぶしい外と暗い家の中。ぺったりと坐って、汗だくだくになって郵便物を
整理する。蝉の鳴きしきる声だけがする。あとは何も聞こえてこない。
蝉の声が坊様の読経に聞こえてくる。
今日は私の父が死んだ日だっけ。
二十七、八年前になる。
息をひきとってゆく三時間ほどの間も、
こんな風に暑くて、蝉が鳴いていたっけ。
五秒ぐらいそんなことを思い出して
すぐ忘れた。
ことばが「映像」にかわる。
蝉の声まで聞こえてくる。
五秒ぐらいそんなことを思い出して
すぐ忘れた・・・、
そんな回想のことが、この文章を読んで
忘れるどころか、ずっとずっと、いつまでもイメージとして残る・・・。
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