■身心快楽(48)
●６月１５日(月) 薄曇りの晴れ
きのうは、昼、妻が出かけてから
うとうと寝て、目がさめると１時過ぎ、
また、うとうと寝て、目がさめると２時過ぎ、
また、うとうと寝て、あれ、３時過ぎ。
そんなことを５回くらい繰り返してから、
「さあ、早く散髪にいかなきゃ！」と
あわてて散髪屋に行った。
そんなことをしたものだから、
昨日の晩、
寝てから、１時間くらいすると目がさめる。
眠たいような、眠たくないような感じで
うとうとしてまた１時間くらいすると目がさめる。
そんなことを繰り返して、外が明るくなってきたので
起き出した。
出窓から朝の光がピカッーと射し込み、高取山の左上に、
まぶしくて目をあけて見ることのできない白熱の太陽が
さんさんとして、白くキラキラ輝いていた。
●「富士日記」昭和四十六年 拾遺��
�� 4/12 〜 4/14
３回目の「山行き」の前日、東京にまだ桜があったのか、新橋の中華料理店「王府」で
開高健夫妻といっしょに「お花見会」をした。
▼四月十二日(月) 晴 風つよし
昨日の日曜日、開高健夫妻とお花見会をした。今朝はまだ昨夜の御馳走の余韻が
胃のあたりや口のあたりに残っていて、とろんとしている。
十時半東京を出る。
中央道の桜は散りはじめている。鯉のぼりがあがっている。
郡内に入ると、桜は満開。菜の花も真黄色。
三時過ぎ、買出しに下る。河口湖へ。
●買出しに下ったが、どこかで不幸があったようだ。
・・・・
八百屋で。にんじん三本、納豆、ピーマン一袋、ニラ、合計百二十円。
八百屋のおかみさんは「今日は近所におとむらいがあって、店を放り出して
行っていたので仕入れもしなくてすみません」と言う。野菜はどれも何となく
しなびている。そう言えば酒屋にもおかみさんの姿は見えなかった。
米屋に寄ると、ここも葬式に出かけていて何にも判らない、という留守番の
返事。
去年の秋ごろから開いたこの店に入るのは、今日がはじめて。八百屋ものも
売っている。卵まである。釜あげ桜海老は、沼津から今朝買ってきたというので
買ってみたが、何となく、わざとらしいピンク色で、へんでもある。
・・・・
ねしなに、急に胃とお腹が痛くなり、下痢。少し吐き気もする。
夜中、ずっと腹痛と吐き気。下痢。何度も起きる。寒気がする。
眠れないので小窓から外を眺めている。松の枝に雪が積もっている。
朝方近くうとうと出来た。眼がさめたら雪ではなかった。
月の光のせいで、雪に見えたのだ。
●百合子さんの下痢は翌日、もっとひどくなる。
▼四月十三日(火) 晴
朝 ごはん、じゃがいもとニラ味噌汁、コンビーフ、キャベツ酢漬。
昼 ホットケーキ、スープ。
夜 ごはん、のり吸い、なまりの煮たの、卵中華風オムレツ、ニラのおひたし。
私は昨夜眠れなかった。起きても体に力がない。下痢が続く。
テラスの椅子で顔に麦わら帽子をのせて、うとうとと眠る。
一日中、気持ちがわるい。ここに書いた食事は主人だけ食べていた。
私は、昼、おかゆ。夜、おじや。
主人は「王府で酒のみすぎて、食べ過ぎたんだ。ものの限度を知らないからなあ」
と言う。私は口答えしない。あまりの気持わるさに。
●しかし、さすがは百合子さん。バイタリティーの塊の百合子さんは回復。
そして「猫」も活動開始。
▼四月十四日(水) 晴 風つよし
今日は気分が直った。朝から気分がいい。鏡にうつった私の顔は病気になる前
よりきれいになったと思う。きっと排泄しきれなかった老廃物が、
下痢と吐き気とで一緒に吐き出されてしまったのだ。体が軽くて頸も軽くて、
機嫌がいい。うっとりしている。
朝、四十雀が食堂に迷い込んできて、天井の梁ですくんでいる。タマがみつけて
狙っているのだ。狙っているのではない。四十雀に向って優しい声で
よんでいるのだ。「遊んで頂だい」「遊んで頂だい」といっている風な
声のかけ方なのだ。タマが遊んでほしいというのは、鳥には殺されることなのだから
困ってしまう。
・・・・
昼すぎ、タマはとうとう四十雀をつかまえて、放り投げては噛みつき、
嬲りつづけ殺す。
夕方、隣りへ行く。老夫婦とお茶を飲む。おばあさんが「今年は四月の三日に、
はじめてうぐいすが啼きました。そのときはとても下手でしたが、五日の日、
二度目に啼いたときには、もう上手になっていました」と言うと、
おじいさんは「あんたは、よう、そんなこと覚えているなあ」と、
バカにしたように、くさくさしたように言うのだ。それからもう三つ位、私の
いる間に口喧嘩した。おじいさんは私が帰るとき、自分で台所へ立って、
戸棚をがさがさやって、山椒の佃煮を瓶に入れてくれた。
「ばあちゃんが作ったのではない。わたしのいたずら。これは、こういうことは
やれん人間で、やらしたって碌なものは作れんです」と言いながら。
今日もきれいな夕焼。
●百合子さんは、なんの悲惨さや残虐さもないかのように「タマが遊んでほしい
というのは、鳥には殺されることなのだから」『困ってしまう』と書く。
「つかまえて、放り投げては噛みつき、嬲りつづけて殺す」と書くとき、
「つかまえて」や「つづけて」のやさしいはずの漢字はひらがなで書き、
むつかしい「かみつく」「なぶる」は「噛みつく」「嬲る」と書く。
タマは甘いやさしい声で、ただ本当に「遊んで頂だい」と言っているだけなのだ。
何を記憶にとどめておくべきか、何が大切なのか、それは歳月とともに変わるものなの
なのかもしれない。「去年はいつ桜が咲いたのか」「いつセミが鳴きだしたのか」
そんなことが、いつか大切に思えるようになるのかもしれない。
「これは、こういうことはやれん人間で、やらしたって碌なものは作れんです」と
そう言うおじいさんは、実は深い深いところで、碌なものを作れないおばあさんと
きっちり繋がっているのかもしれない。
●下痢をしても、タマや四十雀のことがあっても、隣りの老夫婦の口喧嘩を聞いても
今度の山行きの最後に「今日もきれいな夕焼」と書く百合子さん。
百合子さんは元気だ。
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