■身心快楽(46)
●6月14日(日) 晴れ
きょう高取山の横に小さな入道雲が出た。
連休三日目、昼前11時過ぎに目がさめる。
「あんた、今晩、淡路のそうめん作ってあげるわ。
素麺つゆの具材は何々入れるのだった?」
「とり肉、油揚げ、なす、かぼちゃ、しいたけ、玉ねぎ、・・かな」
子供のころ、淡路では夏は「そうめん」をよく食べた。農作業が忙しかったので
すぐできて、食欲をそそる「そうめん」が好まれた。なすや、かぼちゃや、しいたけに
鶏肉と油揚げを加えやや濃い目に砂糖と醤油で味付けし、これにイリコでとった
だし汁をたっぷり注いで炊き、事前に冷やしておく。素麺をゆがいて水で冷やし、
これに先ほどの具材入りのそうめん汁をかけて食べる。
具材がいっぱいで、栄養面からも考えられており、とにかく大勢で食べる
「そうめん」はおいしかった。父が引揚げてきて母の実家の淡路の家にいたころ、
昭和25年ごろは、祖母と叔父一家5人と母の弟妹3人、それに我が家の3人が
いっしょに暮らしていた。まだ私の妹や叔父のところの末っ子も生まれてなかった。
それでも数えたら12人が一緒に暮らしていたわけだ。
だから、食事を作るのは大変だったと思う。そうめんは「揖保の糸」を木箱で
買っていた。当時、何束ゆでたのだろう。30束くらい茹でたのか、
餅を搗くとき研いだもち米を入れる大きな竹ザルに2盛りくらいあったような
気がする。
大鍋いっぱいのそうめん汁をまえもって作ってあっても、大釜で素麺をゆがいて
井戸水でさらすので、やっぱり、そうめんでも食事づくりは大変で
おばさんは竈のそばで大釜から吹きこぼれしないように蓋をずらしたり、
焚き物の薪を入れたり出したり、なんか恨めしそうな目つきだったようなことを
覚えている。
●いま、晩8時を回ったところだが、妻は帰ってきて、その淡路のそうめんを
作ってくれるという。
「あんた、失礼な奴やね。ワタシが一生懸命作ったのに、たったこれだけ!」
と言われないように、たくさん食べようと思う。
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