■身心快楽(23)
●6月1日(月) 外は真っ暗、雨は降ってない様子
日付が変わった。
また「富士日記」を書き写す。翌日の昭和45年4月30日から。
▼四月三十日 晴時々曇、午後俄か雨
朝 ごはん、かにたま、味噌汁。
朝食が終わってから「今日は眠い」といって主人、仕事部屋のふとんの中に
入って眠ってしまう。
昼 お好み焼、とりのスープ、野菜五目炒め。
午後、主人同乗、山中湖を一周する。
俄か雨が降りだす。忍野のあたりから。
雨のせいか山中湖に人がいない。観光バスも少ない。
車をとめて雨のあがるのを待ちながら、湖水をぼんやり眺めている。
丘に入ってゆく道で、帰校時刻なのだろう、小学生が二人位づつ連れだって
おりてくるのにすれちがう。
頬の赤い二年生位の男の子が、こぶしの花が二輪ついた枝をさも大切そう持ち、
連れの友達とこぶしの花をさわっては、ひそひそ話をしながら下りてくる。
●運転しながら「すれちがう小学二年生くらいの男の子」を、よくここまで
観察し、しかも忘れず的確に「日記」に書くことに、まず驚嘆する。
人は自然に立ち止まり、見たいものに視線が行く。
「頬の赤い二年生位の男の子」が「二人づつ連れだって」、
「二輪の花がついた枝」を「さも大切そうに持ち」
「こぶしの花をさわっては」「ひそひそ話をしながら」下りてくる。
これらのことを逃さずしっかりと見ている。
●このあと、さきに引用した「山中湖はいま、桜とこぶしの花が盛りの極み。
遠くの山や近くの林に、白く高く浮かんでいるのはこぶしの花だ。
毎年、同じところに咲いている。私は毎年それを見ると『こぶしの花が咲いていた』と
同じことを日記に書いている」という文章に続く。
その続き。
吉田の八百屋で。夏みかん六個三百六十円、うどん一本九十円、パン一斤
四十円。
陽がまわってくると色硝子窓の切り抜き絵が白いふすまにうつる。
女が股をひろげた風な下半身と獣のような頭のおかしなものが、
赤と緑にうつる。
●色硝子窓に貼った切り抜き絵は、赤と緑の影を落とし、それは「女が股を
ひろげた風な下半身」と「獣のような頭のおかしなもの」に百合子さんには
見える。
夜、湯豆腐、鯛の刺身、ひじきの煮たの。
うす暗くなるころ、近所の富士桜の様子を見に行く。
陽のよく当るところはちらちらと咲きはじめている。林の中に踏み込むと
窪んだところに思いがけなく咲いている。うぐいすが啼いている。
暗くなる前、鳥はいっせいに鳴きさわぎだす。
うちの桜はあと三日ほどで咲くだろう。雨が少し降り、上がり、陽が照る毎に、
刻々、萼は紅く、花びらは桃色が濃くなり、息を吐きだすように
ほころんできている。
○車の不凍液は連休が明けたらぬくこと。
連休までは霜がおりることもあるのでぬかない方がいいと、
昨日、給油所の若い衆がいった。
夜、満天の星。
●どうして「暗くなる前、鳥はいっせいに鳴きさわぎだす」のだろう。
うちの桜はあと三日ほどで咲くだろう
雨が少し降り、上がり、
陽が照る毎に、
刻々、萼は紅く、
花びらは桃色が濃くなり、
息を吐きだすように ほころんできている。
なんとも言われぬ、艶めかしい文章である。
雨は降り、そして上がり、刻々、萼は紅く、花びらの桃色は濃くなる。
そして「息を吐きだす」ように「ほころぶ」とは。
そして、その日の最後に「夜、満天の星」の一行。
万感の思いが胸に迫る。
この一行のために、すべてがあるようにさえ思う。
●4月29日に来た「山行き」は、二泊して翌5月1日に東京に戻る。
▼五月一日 快晴
今朝は霜がおりた。富士山にも、又雪が降った。真白に輝いている。
アルプスにも雪。朝からうぐいすが啼き、風が吹きわたってゆく音。
私がねている間に主人は魚の切り抜き絵を一枚絵描いた。夜中、
仕事中に描いたのかもしれない。私の起きるのをまっていて
「切り抜いて貼ってくれ」と言う。朝食の前に梯子をかけてそれを貼った。
午前中に東京に帰る。庭を上り下りして荷物を運んでいる間も、
家の鍵をかけているときも、しいんとして静か。陽が照りわたっている。
風の音とうぐいすの声だけ。
●午前二時半が近くなった。
「第三市民」さんに教えてもらった方法で、いったん「非公開」にして
書いてみた。
これなら、途中何回かこまめに保存すれば、コピーして消えても
書き足した部分が消えるだけで、うん、これ結構いけそうです。
「第三市民」さん、ありがとう。
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