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2006年03月30日16:19

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●朧霞抄 (14)/■パチンコ

■何を失ったのか

 ●最後にパチンコをしたのは、いつだろうか。
  もう20年くらい前のことだろうか。

  あれは、正月のことだったと思う。
  家族そろって長田神社にお参りした。そのとき、板宿の商店街を
  通り、パチンコ屋のチーン・ジャラ・ジャラという音が懐かしく
  聞こえた。


  私は気まぐれに、もう何年もやっていないパチンコに家族を
  さそった。子供にも、妻にも、家族全員に玉を買い与え、パチンコを
  した。

  あっけなく、負けた。誰かが、少し粘っていて、皿にある玉を
  ほかの誰かが取っていき、打った。


  10分とかからなかったと思う。家族みんなでパチンコをして、
  「はっ、はっ、はっ、・・・負けた。すぐ、終わっちゃったネ」
  と言って店を出た。

  そのときが、最後だったと思う。



 ●私がはじめてパチンコをしたのは、小学校1年のとき、東京で
  母に連れられ、景品の靴下をパチンコ屋に卸すのに着いていった
  ときだ。

  母が、パチンコ屋の店主と商談している間、まだ客のいない店内で
  店のおにいちゃんが台の裏から玉を出してくれて、その玉で
  遊んだ。


 ●その後は、大学にあがってから、垂水のパチンコ屋でやった。
  手先がそれほど器用でないから、早打ちはできなかった。
  たまに行くと勝った。それで、また行くと負けた。

  大方は負けた。負けた後、パチンコ屋から出て、垂水商店街の
  市場を通って下宿に帰る。

  市場に並ぶ鮮魚やコロッケや缶詰や野菜を見て、帰る。
  上から照らす電球の光を浴びて、商品はどれも輝いて見えた。

  ムキになって、最後のカネまでつぎ込んで、空っぽになった
  財布は、私のようだった。


 ●結婚しても、パチンコをした。甲子園口のときもした。妻と
  ケンカしたとき、ぷっと飛び出して、いくら玉をはじいても
  心の浮かないパチンコをした。

  須磨に引っ越しても、たまに新長田でやった。


  たまに行くと、やっぱり勝った。続けていくと負けた。



 ●「日を失う」を書いて、パチンコのことを思い出した。

  あれは何を失ったのだろう。お金はもちろん失った。
  時間も無駄なことに使って失った。


  しかし、負けて店を出て、歩いているとき、私は心の中を吹き抜ける
  寒々としたものを感じた。

  カネでも、時間でもない。私に失われて欠けてできた「隙間」に
  冷たい風が吹き抜けているようだった。



  横尾5団地の駅に向かう階段で、ときどき出会う人がいる。
  新長田のパチンコ屋で顔見知りになった人だ。

  偶然、横尾で出会ったときに、私たちは顔を見合わせ、挨拶した。


  その人も、最近はだいぶ老け込んできた。背が曲がって見えるように
  なった。

  会えば、軽く会釈してすれ違うだけだが、あの人はまだパチンコを
  しているのだろうか。



  私は、もうしなくなったけれど・・・。




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