■何を失ったのか
●最後にパチンコをしたのは、いつだろうか。
もう20年くらい前のことだろうか。
あれは、正月のことだったと思う。
家族そろって長田神社にお参りした。そのとき、板宿の商店街を
通り、パチンコ屋のチーン・ジャラ・ジャラという音が懐かしく
聞こえた。
私は気まぐれに、もう何年もやっていないパチンコに家族を
さそった。子供にも、妻にも、家族全員に玉を買い与え、パチンコを
した。
あっけなく、負けた。誰かが、少し粘っていて、皿にある玉を
ほかの誰かが取っていき、打った。
10分とかからなかったと思う。家族みんなでパチンコをして、
「はっ、はっ、はっ、・・・負けた。すぐ、終わっちゃったネ」
と言って店を出た。
そのときが、最後だったと思う。
●私がはじめてパチンコをしたのは、小学校1年のとき、東京で
母に連れられ、景品の靴下をパチンコ屋に卸すのに着いていった
ときだ。
母が、パチンコ屋の店主と商談している間、まだ客のいない店内で
店のおにいちゃんが台の裏から玉を出してくれて、その玉で
遊んだ。
●その後は、大学にあがってから、垂水のパチンコ屋でやった。
手先がそれほど器用でないから、早打ちはできなかった。
たまに行くと勝った。それで、また行くと負けた。
大方は負けた。負けた後、パチンコ屋から出て、垂水商店街の
市場を通って下宿に帰る。
市場に並ぶ鮮魚やコロッケや缶詰や野菜を見て、帰る。
上から照らす電球の光を浴びて、商品はどれも輝いて見えた。
ムキになって、最後のカネまでつぎ込んで、空っぽになった
財布は、私のようだった。
●結婚しても、パチンコをした。甲子園口のときもした。妻と
ケンカしたとき、ぷっと飛び出して、いくら玉をはじいても
心の浮かないパチンコをした。
須磨に引っ越しても、たまに新長田でやった。
たまに行くと、やっぱり勝った。続けていくと負けた。
●「日を失う」を書いて、パチンコのことを思い出した。
あれは何を失ったのだろう。お金はもちろん失った。
時間も無駄なことに使って失った。
しかし、負けて店を出て、歩いているとき、私は心の中を吹き抜ける
寒々としたものを感じた。
カネでも、時間でもない。私に失われて欠けてできた「隙間」に
冷たい風が吹き抜けているようだった。
横尾5団地の駅に向かう階段で、ときどき出会う人がいる。
新長田のパチンコ屋で顔見知りになった人だ。
偶然、横尾で出会ったときに、私たちは顔を見合わせ、挨拶した。
その人も、最近はだいぶ老け込んできた。背が曲がって見えるように
なった。
会えば、軽く会釈してすれ違うだけだが、あの人はまだパチンコを
しているのだろうか。
私は、もうしなくなったけれど・・・。
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