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2006年03月30日04:40

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●朧霞抄 (13)/■母子

■近頃、見かけない

 ●あれは、いつ頃までだったのだろう。

  ちょっと仕事で遅くなって、電車に乗ると客はまばらで、疲れた
  体に、吊革の揺れるのが侘しく目に留まる。

  向かい合った前の座席に、母親と小学前の子供が並んで座っている。
  母親は、私のほうの車窓のガラス越しに、夜の暗さの中に灯っている
  明かりを眺めているようだ。私のほうからは反対側の同じような
  暗闇を流れるように飛んでいく、外の町の明かりが見えている。


  子供は、男の子のときもあれば、女の子のときもある。
  ときどき、まっすぐ前を見ている母親に子供が話しかけている。
  小さな声で話しかけいるので、何を言っているのか、私には
  わからない。


   「ねぇ、お母さん。・・・・・・、
    ・・・・・、    ・・・・・でしょう」

  行儀よく座った子供は、横の母親に話しかけている。
  母親は、うなづいて、やっぱり前を見ている。子供も母親が
  うなづくのを確かめて、また、母親のように静かに私のほうの
  車窓越しの夜の闇を見ている。



 ●ただ、それだけの光景である。つけ加えれば、母親の身なりは
  やや粗末だ。子供も、質素な服装だ。

  荷物といって、何もない。

  時間は、夜の11時近く。この母子は、どこへ行くのだろう。


  買い物や遊びの帰りではなさそうだ。はしゃいでいる風はないし、
  この時間だ。普通なら、子供は寝ている時間だ。

  この母子は、どんな用事で、どこへ行くのだろう。



 ●母子の光景は、私の脳裏のどこかをかすめる。

  知らん振りしながら、母子を見ている私の何かが、揺さぶられる。
  こんな光景が、私の母と私の間でもあったのだろうか。

  母子を見ながら、私はそこに自分を投影していることに気づく。


 ●子供は、男の子であったり、女の子であったり。
  いつも、行儀よく座っていた。


  そんな光景を、いつ頃まで目にしたろうか。
  いまでは、見ることがない。


  いまより、もう少し、世の中には哀愁があった。
  母子を見て、その親子の境涯を、ふと思ったりする光景に出会う
  ことがあった。

  私には、夜遅い電車の中の母子の二人連れ、それがそうだった。



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