■与(くみ)しやすし
●妻が言うには、私は「ちょろい」らしい。
何がちょろいか、それは騙(だま)すことに於いて。
「あんたなんか、騙すのは簡単!」
「まぁ、甘いンだなぁ。手の内が見え見えだし」
「すぐ顔に出るは、ウソつけばバレる」
「まぁ、与しやすし、の見本みたい」
●私は素直ではあるが、「意地っ張り」で「偏屈」でもある。
だから、本当に付き合おうとしたら、相手に結構、負担をかけて
いるだろうと思う。
また、視野狭窄で、一直線。「おいおい、マジかよ」とひとに
思われることもある。
「まぁ、私だったから、ここまでやってこれたのヨ!」
「ほかの人だったら、とっくに、ハイ、さよならね」
妻に、そう言われるほど、私と一緒にやっていくには、相手に
難渋を強いたと思う。
●なのに、「与(くみ)し易い」のだそうだ。
相手は、私に協調してくれている。私にあわせてくれている。
それは、あまり用心せずとも、いざ一旦、緩急あるときは
この人には「勝てる」という感じが相手にはあるらしい。
先を読まれているのである。私のやりそうなこと、考えそうな
ことは、相手の「想定の範囲内」にあるらしい。
●言葉は悪いが、完全に「なめられている」のである。
妻の言うことを書くと、こうなる。
なるほど、そうか、と思う。
たしかに、そのようでもある。自分としては、もう少し、
不可解で、わからぬところのある男のように思ったりしているが、
ひとには「わかりやすい男」らしい。それは、「底が浅い」と
いうことと同じかもしれない。
●そこで考えるのだが、いまから努力して、何か「深みある」ものを
身につけようとしても、それは手遅れ、時間がないような気がする。
また、生まれ持った性質は、そう容易く変わるものではない。
こんな私は「幸福」なのか「不幸」なのか。まあ、今更、その幸・不幸を
問うても詮ないこと。
だとすれば、私はこんな「自分」をどう生かし、どんな「成果」に
結びつけるか、それを工夫するしかない。
深謀遠慮のない私は、ただただ、幸・不幸に関係なく、この自分を
実直に生きることだ、と思う次第である。
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