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2006年03月25日21:46

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●朧霞抄 ( 8)/■深謀遠慮

■与(くみ)しやすし

 ●妻が言うには、私は「ちょろい」らしい。

  何がちょろいか、それは騙(だま)すことに於いて。

  「あんたなんか、騙すのは簡単!」
  「まぁ、甘いンだなぁ。手の内が見え見えだし」
  「すぐ顔に出るは、ウソつけばバレる」
  「まぁ、与しやすし、の見本みたい」



 ●私は素直ではあるが、「意地っ張り」で「偏屈」でもある。
  だから、本当に付き合おうとしたら、相手に結構、負担をかけて
  いるだろうと思う。

  また、視野狭窄で、一直線。「おいおい、マジかよ」とひとに
  思われることもある。

  「まぁ、私だったから、ここまでやってこれたのヨ!」
  「ほかの人だったら、とっくに、ハイ、さよならね」
  妻に、そう言われるほど、私と一緒にやっていくには、相手に
  難渋を強いたと思う。




 ●なのに、「与(くみ)し易い」のだそうだ。

  相手は、私に協調してくれている。私にあわせてくれている。
  それは、あまり用心せずとも、いざ一旦、緩急あるときは
  この人には「勝てる」という感じが相手にはあるらしい。


  先を読まれているのである。私のやりそうなこと、考えそうな
  ことは、相手の「想定の範囲内」にあるらしい。



 ●言葉は悪いが、完全に「なめられている」のである。

  妻の言うことを書くと、こうなる。



  なるほど、そうか、と思う。

  たしかに、そのようでもある。自分としては、もう少し、
  不可解で、わからぬところのある男のように思ったりしているが、
  ひとには「わかりやすい男」らしい。それは、「底が浅い」と
  いうことと同じかもしれない。



 ●そこで考えるのだが、いまから努力して、何か「深みある」ものを
  身につけようとしても、それは手遅れ、時間がないような気がする。

  また、生まれ持った性質は、そう容易く変わるものではない。


  こんな私は「幸福」なのか「不幸」なのか。まあ、今更、その幸・不幸を
  問うても詮ないこと。


  だとすれば、私はこんな「自分」をどう生かし、どんな「成果」に
  結びつけるか、それを工夫するしかない。

  深謀遠慮のない私は、ただただ、幸・不幸に関係なく、この自分を
  実直に生きることだ、と思う次第である。




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