■「語りかけない時代」
●きのう、帰りがけのこと。
服を着替え終わって、部屋を出ようとすると、
この横にある防災センターから、声高に話している人の声がする。
鍵を閉めた管理事務所のドアを、ドンドンと誰かがたたいている。
あぁ、早く帰らないから、これだ。
定時の退出時間をもう30分以上も過ぎ、帰り遅れたことを
後悔しながら、消した部屋の灯りをつけ、さっき施錠したばかりの
玄関の扉の鍵をあける。
●防災センターの警備員と、このマンションに住んでいる40代の
男性が小さな男の子の襟首をつかまえて立っていた。
「小さな」といっても、孫と同じくらいの年恰好で、中学生か。
「もう、きょうは許さんから。ちゃんとカメラにも映っているし
お前らがエア・ガン撃ったのは、はっきりしとる。もう逃げられヘン」
きょう当番の警備員は、かなり興奮して男の子に怒鳴っている。
「こりゃ、もう警察に突き出すしかないナー」と住民の男性も
鼻息が荒い。
●もう数週間も前から、中学生のグループがこのマンションの敷地や
建物に入り込んで「いたずら」を繰り返していた。
いつだったか、彼らは敷地内の広場でサッカーボールを蹴りあい
ふざけていたが、それを広場で幼児を遊ばせていた若い婦人が
「危険」だから注意し、やめるように制止した。でも、聞かなかった。
注意すると、よけい面白がって、ボールを激しく蹴り、
ほかの幼児にでもあたったら大変だし、蹴ったボールが植栽に
入ったりして植え込みも荒らされている、といった内容の連絡が
防災センターにあった。それを、防災センターの警備員が注意しに
行ったのがことの始まりらしい。
●私たち管理人の執務時間は朝9:00から夕方5:00まで。
その時間を過ぎると、防災センターの警備員室に事務は引き継が
れる。
数週間前のその出来事は、私たちが帰った後におきた。中学生と
そのとき注意した警備員との間で、どんなやり取りがあったか、
それはわからない。
しかし、そのあと、防災センターの警備員と中学生グループの
攻防がはじまった。
防災センターの入り口のブザーが鳴る。
警備員が席を立ち、ドアを開ける。
すると、中学生グループは、わっーと叫んで
砂や石を投げ込んで逃げる。
警備員は追いかけ、捕まえようとする。
しかし、少年たちはパッと散って、捕まることはなかった。
そして、また同じことを、数日おいて少年たちはした。
警備員はからかわれていることに立腹していた。
こんな「攻防」が何度かあった。
●攻防が始まる前にも、そのグループかどうかはっきりしないが、
夕方、暗くなっても、中学生のグループが広場や建物のエントランスで
たむろしている姿が見受けられた。そのことは、防災センターや
管理事務所に、「通行の邪魔になる」「気味が悪い」といった住民の
苦情として寄せられていた。
また、エントランスのぶ厚いガラスが、エア・ガンのようなもので
割られる事件もあった。
●監視カメラで見られていることは、中学生も知っている。
それで、エレベーター内でしゃがみこんだり、車座になったり
防災センターに映るモニター画面に、「挑発」もしたらしい。
エスカレートしはじめたのは、この2、3週間前あたりからだ。
エア・ガンの玉が散乱しているという苦情が寄せられた。
マンションの住戸の玄関めがけて、エア・ガンを撃っている
という電話もかかってきた。
いつも、私たちが帰ってからのできごとだ。
●そして、きょう、そのグループの一人が住民に捕まった。
その家の住戸の玄関ドアにエア・ガンを発射し、ちょうど
出かけるところだったその家の主人に捕まった。
「ドアを開けたら、いきなりエア・ガンを撃たれ、びっくりして
見たら中学生が5、6人おり、こらっ、といったら逃げるので
追いかけて一人捕まえた」
捕まえられた少年は、まだ頬っぺたが赤く、幼く見えた。
「ぼく、何したン?」
「ぼくは、してません」
「どこの中学校?」
「○○中」
「何年生?」
「1年」
「名前はなんちゅうの?」
「○○○○」
●私はメモを彼の前にだし、書いてもらった。
ていねいに書いていた。
家の電話番号と保護者の名前も書いてもらった。
住所はこのマンションでなく、となりのマンションだった。
「エア・ガン、撃ったの?」
「ぼくは撃ってません」
「誰かが撃ったの?」
「わかりません」
警備員は、「もう警察に通報してもいいから。あと頼んだヨ」と
仕事があるので防災センターにもどった。
この子を捕まえた当事者の男性に、前後の事情を聞こうと思ったが
もういなかった。
●私はこんな経験は、はじめてである。
広い管理事務所の、カウンターのところの天井の蛍光灯だけが明るい。
暖房を切った部屋の中はすこし冷えてきていた。
少年とふたり、取り残されたようにカウンターを挟んで立っていた。
「家に誰かいる? お父さんか、お母さんか?」
「わかりません」
私は一通りのことを聞いて、このまま帰そうかと思ったが、
念のため、家に電話してみた。
すると母親がいて、私は事情を話した。そして、ご足労だが
お子さんを預かっているので、すぐ来てほしい旨、伝えた。
●「うちの子に限って」とか、「いま行かれない」とか、
そんな答えが返ってきたら、どうしょうと思っていたが、
母親はすぐ来た。となりのマンションだから5分とかからない。
「すみません。どうもご迷惑をおかけしました」
「お宅のお子さんはやってないようなんですが、
グループの誰かがエア・ガンを住民の方の玄関に撃ったようです」
「今回が初めてでなく、今までも何回かあったようです。
友達がこのマンションにいるらしいのですが、数人の
グループでこれまでも防災センターにいたずらしたりして、
苦情がきています」
私は概要を話し、もう今後はしないように諭して、母親にこの子を
渡そうとしていた。
●しかし、いつの間にかいなくなったあの被害者の男性が通報して
いたのだ。
白いレインコートを来た警官が三人、警備員に案内されて
管理事務所に入ってきた。
「この子ですか」
そう年長の警官が、警備員と私に聞いた。
「あぁ、だいたい聞いてもらったのですね」
「あとは本署のほうで聞きます」
警官はカウンターのメモを見てそう言って、警備員と話したり、
母親と話したり、また、本署と無線でやり取りしたりしていた。
本署もここから歩いて5、6分にところにある。
母親はいったん家に帰って、署に行くと言っていた。
●おとなしく立っている少年に言った。
「大人をここまで怒らしたらあかんナー」
「わかっとるやろ」
髪がボサボサに伸びた頭を軽くたたいて、
「これでおしまいにせんとナー」
と、言った。少年は頷くでもなく、そのまま警官と一緒に警察に
向かった。
事務所の外の道端に、傘をさした少年が二人いた。
母親が、「あの子たちもいっしょです」と言った。
●警官と母親と少年は事務所から出て行き、私は玄関の鍵を閉めた。
窓ガラス越しに見ていたら、雨の中、その二人の少年も警官の後を
いっしょに本署のほうに向かって歩いて行くのが見えた。
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●順不同 (11)/「語りかけない時代」
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