文芸春秋の今年’09年1月号に、『昭和の遺書53通』なる企画があったのをご存知の方は多いでしょう。
私、常日頃は文芸春秋は手に取る事稀ですが、この企画に惹かれて購読しました。
著者は梯久美子、「東条英機、太宰治から夏目雅子、昭和天皇まで」と副題がついています。
軍人,文人、他、公人,有名人ばかりでなく、一般の人達のものも含まれています。
遺書は、その人物が時代とどう切り合い、どんな生を生きたのか、どんな死を死んだのか、その証しでもあります。
昭和は戦争の時代でもありましたから、軍人のそれ、戦争に翻弄された人達のそれが大きなウェイトを占めます。
正直に言って、軍人や政治家の書き遺したものには、最後迄立場の人としての表白が多く、心に強く迫るものはありませんでした。
2つだけ、ここに紹介したいものがあります。
1つは、プロレタリア作家、最近再び若者に読まれているらしい『蟹工船』の小林多喜二、その母の、遺書というよりメモです。
2.26事件(1936)に到る中、社会は軍国主義傾向が増し、思想弾圧も強化されました。
小林多喜二は、築地警察署で、拷問の挙句死亡します。1933年2月20日、多喜二は29歳でした。
死体は母セキに引き取られましたが、それは直視に堪えない凄惨なものだったらしい。彼の全集に収められた江口渙の文章によりそれは判ります。
息子の顔をさすりながら、彼女は「ああ、痛ましや、痛ましや」と繰り返し、そして突然「ほれっ！多喜二！もう一度立って見せねえか！みんなのために、もう一度立って見せねえか！」と叫んだ由。
彼女は貧しい出で、文盲でした。しかし、獄中の多喜二とやりとりする為に、老齢に到って字を習い覚えたようです。
87歳で死んだセキの遺品の中から偶然見つかった紙切れがあります。そのまま書き記します。
・・・・・・
あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
いやな月 こいをいパイに
なきたい どこいいてもなかれ
ない あーてもラチオて
しこすたしかる
あーなみたかてる
めかねかくもる
・・・・・・
よけいな事ですが手直しをしてみます、原文の血の出るような痛切は失われてしまいますが。
(ああ、またこの2月が来た。本当にこの2月という月が嫌な月。声をいっぱいに泣きたい。でも何処へ行っても泣かれない。
ああ、でもラジオがあって少し助かる。
ああ、涙が出る。眼鏡が曇る。)
おなかを痛めた母親の息子への思いは、歳を重ねても消える事はなかったでしょう。息子のどす黒く腫れあがった屍体の様は、亡くなる迄目蓋から消える事はなかったでしょう。
心から溢れ出たものをそのまま書き留めた文章です。
もう1つは、戦場での一般女性のものです。
山野清子、日赤看護婦、僅か16歳で応召、マニラの陸軍病院に勤務、19歳の時患者等と伴にバギオ山中に逃げそこで死亡。
彼女の2通の手紙が日本の両親の許に残されました。
日付はサイパン陥落(1944)の後。
・・・・・・
この頃のニュース、清(註；自分の事)はただ言う言葉を知りません。こちら(マニラの様子)も想像におまかせ致します。
帰る日のことは考えてはならないでしょうけど、やはり帰る人を見れば帰る日の夢、なつかしい故里を夢見ます。清はただ懸命にがんばります。強い人に身も心もして、帰れたら帰ります。こんな世になるのなら、もっともっと良い子でありたかったとつくづくと感じます。お許しくださいませ。
もし、清の身になにかことがあったなら・・・・・・、清は覚悟を致しております。ここも第一線です。清の帰る日迄、ああ世田谷に皆様がおいでかしら？ 清は、こんなことを考えると淋しい子になってしまいます。国を離れきて、こんな子でどうしましょう。すべてを忘れて良い看護婦になって帰ります。ではまた。
キッテを送ってくださいませ
・・・・・・
最後の1行に、彼女がまだ死を考えていない事が窺われます。しかし、次が最後の手紙になりました。
・・・・・・
清子たちの運命は・・・・・・。比島と共にするか？ また引きあげか？ はっきりわかりませんが、いずれにしても覚悟はできております。
ボカチンをえらぶようではマニラに残りたい・・・・・・。それかといって、玉砕なんて・・・・・・。でも、玉砕を望みますね、こうなると。好んで来た野戦だもの。
また、神の命ぜられるままに元気に御奉公致します。皆様もお元気に
・・・・・・
国に帰り、父母に会いたい思いを見せず、己れに厳しく言う様子が、何とも強く、そして悲しい。「好んで来た野戦だもの」等と、ここ迄戦禍が酷くなって言わなくていいではないか。誰の所為でこうなった、そう叫んでもいいではないか。
戦後、両親は、戦地の病院の仕事や看護婦の扱いが如何に悲惨だったかを知らされ、このように意志の強い娘に育ててしまった事を悔みました。
父親の詠んだ歌一首、
「二十一年 汝(な)れいとしさに叱りきぬ つよく育てし今日ぞかなしき」
数え歳のカウントですから、今の満年齢でいうなら19歳。父の悔みの呟きは、責任をとるべき国や軍政に向かわず、自らに向かっています。
最後に、著者のコメントを載せておきたいと思います。
「終戦までに戦地におもむいた看護婦は、日赤出身の従軍看護婦だけで約三万三千人。うち千八十人の殉職者が記録に残っている。日赤以外の看護婦については明確な統計がない。敗戦の前の年には看護婦の最低年齢が十六歳に引き下げられており、十代の看護婦も多く殉職したと思われる。」
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