mixiユーザー(id:3341406)

2009年01月15日23:05

31 view

恩師の想い出

昨日、高校時代の恩師が、本を5冊も送って下さって、驚きました。

恩師は古典文学を担当しておられ、私は、大学を国文学を選びましたから、道は影響を受けていると言えなくないと思います。
まだパラパラとめくってみただけですが、本は、師が若い頃から最近に到る間で書き溜めたもので、退官後、折に触れて自費出版されたもののようです。
古いものでは、学生時代に書いたフィクションや、修士論文も含まれています。
最近では、教育についての諸々の考え、日本各地を歩いた紀行文も入っているようでした。
フィクションその他編は全200ページに及び、中のメイン作品は113ページ。他の本も、同程度のページ数で構成されており、さらさらと読了できるものではありません。
時間をかけ、ゆっくり味わいながら読んでいきたいと思います。

昨晩は、早速師にお礼の手紙をしたためました。

つらつら想い出すに、師は、なかなかのひねくれ者で、通り一遍で理解できるタイプの人ではありませんでした。(送って下さった中の紀行文のタイトルが『へそまがり紀行』と言う。)
辛辣な言葉は、結構ぐさりとくる事もありました。
ですから、当然ながら、生徒に人気があるという先生ではありません。頭がでかく、且つ禿げあがって額は広く、脚は短い。見栄えもパッとしないので、女生徒の人気もさっぱりでした。
私が、3年の大分押し詰まってから進学の相談に行った折りには、「あっ、そう、いいんじゃない、誰でも受ける事はできるんだから」と、勝手に受験せよと言わんばかり。
今回、本と一緒に送って下さった手紙にも、「観劇や映画、音楽、美術鑑賞の毎日のようですが、奥様を失った喪失感は、それで埋められるはずのものでもないでしょう」と。

これは、想像する方もおられる通り、私が出した年賀状に対するコメントでもある訳です。
師への賀状は毎年書き続けてきていますが、今年のそれには、昨年の”観た聴いた読んだ”総括をしたためたのです。
ピリッと辛味も苦味もある人ですが、でも、何となく私は師が好きなのです。

2年前には、ある日突然電話を下さいました。
「菊川の常葉美術館行っただろう。」
「はあ」とぼんやり返事をすると、「(会場の)芳名帳にサインしただろう。俺が名前を書いたら、その前にお前の名前があったんだよ。」
アンドリュー・ワイエス展を観にいった後の事です。
偶然に驚きもし、そして、それ以上に、師の方から私に電話をくれた事に一層驚いた記憶があります、年賀状のやりとりしかしていなかったので。
その電話で、師は、3年の伊豆への小旅行で、露天風呂に入った事を話し出しました。
「あの時おまえは・・・」と、私にとっては、忘れ去ったトラウマである恥ずかしい想い出を話し出すのです。
「先生、よくそんな事憶えていますね」と、私。
でも、師が、よくも私の些細なつまらぬ事を記憶していてくれたものだと、トラウマよりも、そちらの方に感動さえ感じたのでした。
口は悪いけれども、何となく、私は師と気が合うのです。

本の「まえがきに代えて」からは、師のものを書く事への情熱が伝わってきます。
「定年になってからも、ものを書く楽しみを失っていなかったのが確認できて、嬉しかった。旅行記に限らず、手紙の返信、著作物への感想文など、ものを書くことが、いっこう苦にならなかった。」
そんな師ですから、今の世の言語文化にも手厳しい。
次は「あとがき」から。
「人がドライになり、心もカサカサに乾いてしまったのは、言語生活が貧弱になったことと、関わり大きいと思う。個性化の時代と言っても、個性的な語り口に出会うことができなかった。そして、方言を失い、標準語化していることが、いい表れとは感じられなかった。若者が即物的になり、情緒を失ったことも、言語生活の貧弱さから来るものと思われる。」
書く事へのこだわり、偏愛、その辺りにも、私が、師に気の通い合いを感ずる所以があるようにも思えます。

今は長い教職生活を終え、奥さんと悠々自適の生活。
いつか会って酒でも酌み交わしたいものだと思います。
 
0 9

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2009年01月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031