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2006年03月17日21:47

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●寄り道ついで (81)/■家の中(6)

■個性

 ●いろいろあって、もう思い出すこともできない。
  我が家に起きて、よそでは起きないこともあるにはあった。
  が、それとて、苦労と言えば苦労、災厄と言えば災厄ではあるが、
  それはどこにでもあること。


  私だけに起きることではない。

  数の多い少ないはあっても、問題は、それにどう対処するか、
  どう乗り越えるかだ。

  それが人により異なるということだろう。



 ●私は惑い、頭をぶつけ、悩み、耐え、ただ立ち向かうしかなかった。

  世知に長けず、度量もなく、大人になれていない私は、ただ
  自分の「青臭さ」と「意地っ張り」みたいなもので、やるしかなく、
  ほかに何の能力も持ち合わせもなかった。

  人より多かったことと言えば、悩むことくらいか。



 ●「10年連用日記」を買ったのは、そんなこともあってのことだろう。

  はじめて「3年連用日記」を買ったころ、私は自分が前年・前々年と
  比べてどう変わったか、1年前・2年前の同じ日に、自分は
  何を考えているか、それを見たかった。


  しかし「10年連用日記」を買うころは、この「日記」が
  何も書かれず、空白であることを願った。悩みをもてあまし、
  「日記」を書かずにはおれないようなことがないようにと。

   ■日記について



 ●私は、大胆に言ってみようと思う。
  もし「個性」というのがあるとしたら、それはその人がもつ
  特別な能力や恵まれた資質のことを言うのではない、と。


  私は思う。
  生まれつきの「性格」や「能力」は、それが人とどんなに違い、
  人より優れようと、それは「個体」の違いにすぎないのではないか。



  同じ種(たね)でも、種の落ちる場所は異なる。
  日のあたる場所・あたらぬ場所があるように、同じ種でも
  落ちた場所で、それぞれにそれぞれの花を咲かす。花、咲かぬことも
  ある。


  強い種、弱い種があるだろう。が、それは「個体」のこと。

  しかし、たまたまの「偶然」で落ちた場所に、根を張り、茎を伸ばし、
  葉を茂らせて、花を咲かせようとするのは、その落ちた場所を
  自分の「持ち場」と考え、そこで生きようとする、その種の意志・
  生命力という「個性」ではないのか。


  もし「運命」というものがあるとすれば、その「運命」を全うする力
  こそ、「個性」と呼ぶにふさわしいのではないか。



  そして、その私の「個性」のことだが、それはあまりにも未熟だった。
  ただ、自分だけが視野の中にあり、ほかは何も見えない自分が
  そこにあった、ような気がする。



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