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2006年03月16日09:40

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●寄り道ついで (79)/■家の中(4)

■電話の向こうで

 ●明舞団地に住んでいたころ、母から電話がかかってきたことが
  あった。狭い玄関の下駄箱の上の電話がなった。夜だったと思う。


  なんの用か、と思った。母は特別な用件を話すでもなく、少し
  父のことを愚痴った。

  「別に用じゃないけど、最近、背中が痛んだり咳が止まらなかったり
   する」と付け加えた。


  電話はそれだけで、私は「病院にいって見てもらったら」くらいの
  ことは言ったのだろうが、あまり気にかけていなかった。



  私は自分のことしか、考えていなかった。電話の向こうの母の
  姿も見えていなかった。




  宮崎から電話があり、母が入院したのを知ったのはそれから
  しばらくしてからだ。

   ・「母」のこと


  
 ●その年の暮れ、母は亡くなった。母は生前、「ヒロヒコが家を
  買うそうだが、大丈夫だろうか」と最後まで心配していたが、
  翌1983年3月に、ここの須磨・横尾の神戸市住宅供給公社の
  分譲マンションに移ってきた。



  母が亡くなってから、父は「店」の共同経営者が見つかるまで
  といって、「店」を当分の間、休業にした。

  しかし、共同経営者なるものは見つからず、宮交シティー前の
  「大銀の茶屋」は閉まったままだった。




  それから、父の逐電があった。父は都城にいた。




  また、妹が出奔したと、嫁ぎ先から電話があった。

  私は妹の住む延岡に行き、どうして妹が家出したのか、妹の
  夫に聞いた。「わからない」と、要領を得ない返事だった。

  さがしまわって、妹がやっかいになっている友人宅を見つけた。




 ●夜、電話が鳴るとびくついた。宮崎から不吉な知らせが、また
  届いたのか、と思った。



  それから、いろんなことがあった。
  もう思い出そうとしても、その順序もわからない。


  妹は、嫁ぎ先から「もう宮崎から連れて行ってくれ」と言われ
  私は神戸に連れてきた。しばらく、私の家にいたが、かってに
  ここも飛び出し、大阪で暮らしているようだった。




  私は、身に降りかかってくる厄難に翻弄され、ただ一生懸命に
  それに向かうしかなかった。




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