■電話の向こうで
●明舞団地に住んでいたころ、母から電話がかかってきたことが
あった。狭い玄関の下駄箱の上の電話がなった。夜だったと思う。
なんの用か、と思った。母は特別な用件を話すでもなく、少し
父のことを愚痴った。
「別に用じゃないけど、最近、背中が痛んだり咳が止まらなかったり
する」と付け加えた。
電話はそれだけで、私は「病院にいって見てもらったら」くらいの
ことは言ったのだろうが、あまり気にかけていなかった。
私は自分のことしか、考えていなかった。電話の向こうの母の
姿も見えていなかった。
宮崎から電話があり、母が入院したのを知ったのはそれから
しばらくしてからだ。
・「母」のこと
●その年の暮れ、母は亡くなった。母は生前、「ヒロヒコが家を
買うそうだが、大丈夫だろうか」と最後まで心配していたが、
翌1983年3月に、ここの須磨・横尾の神戸市住宅供給公社の
分譲マンションに移ってきた。
母が亡くなってから、父は「店」の共同経営者が見つかるまで
といって、「店」を当分の間、休業にした。
しかし、共同経営者なるものは見つからず、宮交シティー前の
「大銀の茶屋」は閉まったままだった。
それから、父の逐電があった。父は都城にいた。
また、妹が出奔したと、嫁ぎ先から電話があった。
私は妹の住む延岡に行き、どうして妹が家出したのか、妹の
夫に聞いた。「わからない」と、要領を得ない返事だった。
さがしまわって、妹がやっかいになっている友人宅を見つけた。
●夜、電話が鳴るとびくついた。宮崎から不吉な知らせが、また
届いたのか、と思った。
それから、いろんなことがあった。
もう思い出そうとしても、その順序もわからない。
妹は、嫁ぎ先から「もう宮崎から連れて行ってくれ」と言われ
私は神戸に連れてきた。しばらく、私の家にいたが、かってに
ここも飛び出し、大阪で暮らしているようだった。
私は、身に降りかかってくる厄難に翻弄され、ただ一生懸命に
それに向かうしかなかった。
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