■愛情問題
●我が家で夫婦喧嘩は、だいたいが「愛情問題」だった。
カネはなかったし困ることもあったが、これでケンカすることは
ありがたいことに、あまりなかった。
我が家の「愛情問題」とは、浮気や不倫のことでなく、もっと
基本的なことで、自分が「愛しいてるのか、愛されているのか」
ということだった。
●結婚する前に、私は「好きだ」とは言えたが、「愛している」と
言えなかった。「愛している」というのが、どんな気持ちで
どんな心の状態を言うのか、また、その延長としてどんな行為に
つながるのか、それが実感としてよくわからなかった。
「世の中に多くの女性がおり、その中であなたが一番すばらしい
というのではなく、たとえ、もっとすばらしい人がいたとしても
僕はいつわりなく、きみが好きだと言える」
みたいなことを、私は言った。
●私が結婚することを知って、御用聞きでまわっている家の奥さんが
私に言った。
「あのね、結婚したら奥さんに、やさしい言葉をかけてやりなさい。
ご飯がおいしかったら、おいしいと。親切にしてもらったら、
ありがとうと。そんな、一言が大切よ。それと、疲れているときは
いたわること。どちらも疲れることは、あるんだから」
もう50歳を超えていたか。ふっくらとした色白でおとなしい
感じの、いつも和服ででてくるその奥さんは、私への餞として
そう言った。それは、そんな風に自分たちがやってきた、というように
聞こえた。
●その奥さん言がったことは覚えていても、私はそのように
できなかった。
できないというより、「感謝する」とか「いたわる」とか、
そんな心持をまだ、十分には持ち合わせていなかった。
男にもいろいろあって、やさしい男もいるかと思うが、概して
男のほうが、こんな心根に欠けるように思う。
ひとのことはどうでもいいのであって、私の場合、ただ
「好き」を連発するばかりで、「いとおしさ」「かれんさ」
みたいなものを感じても、それが「感謝」や「いたわり」には
つながらず、愛情とは互いに「好き」関係みたいに勘違いしている
ようだった。
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タバスコさんの日記/夫婦、この奇妙で滑稽で哀しい者たち
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