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2024年02月18日02:12

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「決定版!女性画家たちの大阪」

足も治っていないのに中之島美術館へ行って来ました。前売り券を買っていたので、終わる前に行っておかないと…。
https://nakka-art.jp/exhibition-post/women-painters-2023/

明治から大正、昭和にかけて活躍した大阪ゆかりの女性画家59名188点を紹介する展覧会です。
当時の画壇は東京と京都が中心で、もちろん画家も男性ばかり。しかし1907年(明治40年)に開かれた第1回文展(文部省美術展覧会)には、東京の榊原焦園(のちの池田焦園)と京都の上村松園が入選しています。そして1912年(大正元年)の第6回では大阪の島成園が20歳で入選を果たします。ここに「三都三園」と言われる女性画家が揃いました。

20歳で、しかも大阪から、さらに女性の画家が入選したことで、大阪では他の女性たちがこれを目標にし始めます。そうして大阪から女性の画家が次々と生まれることになりました。
その素養として、大阪は商人の街であり、船場のいとはん、こいさん、といった裕福な女性が習い事の一つとして絵を描く習慣があったことが挙げられます。
その中から、島成園に続いて岡本更園、木谷千種、松本華羊が次々と文展に入選しました。そうしてこの4人で「女4人の会」を結成しました。4人の展覧会も開催して評判にもなりました。この展覧会ではこの4人の会の展覧会に出品された作品が並べて展示されています。

展覧会の始まりはまず島成園から。
文展の入選作「宗右衛門町から」は所在不明だそうで、有名な大作「祭りのよそおい」が展示されます。華やかな着物をまとった裕福な娘たちを離れた所から眺める質素な着物の娘の対比は、単なる美人画の枠に収まらない成園の資質が見て取れます。また、「宗右衛門町の夕」は所在不明ではあるものの、その中心に描かれた舞妓をピックアップして描かれた絵が残っています。見たことのある絵から見たことがないもの、小品に大作、屏風絵など多彩な画業が紹介されます。

美人画の系譜に連なる女性像を見ますと、着物やまげの描写は上村松園ほどの繊細さには欠けており、着物の衣文の描き方も松園に比べると単純に見えるのですが、松園との違いがはっきり見て取れるのは、その表情です。松園はまさしく美人画の大家であり、生涯美しい女性の姿を描くことを追求しましたが、成園はどうもそうではないらしい。「萩美人」などはしゃがむ女性の黒っぽい着物は単色で素っ気ない描写ながら、ほんのり愁いを秘めた目で何かを見つめるような表情はなまめかしくてドキっとします。また、半裸で長い髪をくしけずる姿は情念を秘めた様子がうかがえます。
ちらしになっている「桜花美人」も島成園です。もとは全身像です。
あとは顔にあざのある女性を描いた「無題」や、太夫の姿をデフォルメした個性的な「伽羅の香り」などがあります。

「女4人の会」では岡本更園が美人画風の絵を描いていると思えば、当時の女性をリアルに描写している「秋のうた」のような絵があったり。はだしで窓際に座り、口を開けて歌っているしぐさが描かれています。着物も単色の柄物で普段着のようなものです。
木谷千種は美人画風の絵が多いですが、女形の吉澤あやめを描いた絵は、傍らにキセルを置き、台本と思われる本を見ている姿がかなり個性的です。「をんごく」という絵も有名なんですが、前期のみの展示で見られませんでした。残念。
松本華羊は、「殉教 伴天連お春」が印象的です。隠れキリシタンとして処刑される前に「桜を見たい」という願いを聞いてもらい、鎖につながれながら桜を見る切ない表情。また「静観院宮絵姿」(和宮のこと)は皇女の気品のある姿が描かれています。

そうしたら、「伝統絵画 南画、花鳥画など」というコーナーがありました。
南画ですと?
もとは中国の文人画すなわち職業画家ではなく文人が教養の一部として絵を描いたもので、日本に入ってきて日本の南画の伝統が生まれました。
大阪でも南画は盛んだったそうで、しかも画壇に関係なく女性の活躍も多かったそうで。

それで…ビックリでした。大阪の女性がこんな絵を描いていたなんて!!!
なにしろ、中国の山水画そのものなんです。
私は中国の山水画が大好き。日本の水墨画はなんだか空間がせせこましくて、それに対して中国の絵は雄大な自然の広がりを感じるのです。
なんと、そういった中国の山水画にそっくりな空間の広がりを感じさせる雄大な絵が並んでいるではありませんか。しかも上部の余白には賛(もしくは漢詩)まで書かれています。中国の博物館に飾ってあっても違和感がないと思うぐらい。
大橋香陵は明代のような古典的な描写で、橋本青江は遠景の山に個性的な描写が感じられ、もしや清末の絵かも…と思うような。

また、河邊青蘭の「態濃意遠図」は杜甫の「麗人行」から題材を取り、その詩の通り川辺に女性たちが大勢「きゃっきゃうふふ」と思い思いに過ごしています。小さい人物がものすごい大量に描かれています。細かすぎる。
同じく河邊青蘭の「武陵桃源図」など中国の絵にしか見えません。
川本月香の「羅浮仙」は、隋代の伝説に題材を取っもので、梅の精の女性像を描いていますが、これも「明代の絵ですよ」と言われたら信じてしまいそう。

ということで、実はこのコーナーが一番滞在時間が長かったような。やっぱり私は中国の絵の方が好きなのか。…中国じゃないけど。

こういった南画は日本の中央画壇からは外れたところで師弟関係や画塾のグループがあって、あまり全国的には知られていない形で大きな活動をしていたようです。そこから女性の絵だけをピックアップしたのがこのコーナーですが、「大阪の南画」をテーマにした展覧会でも可能かもしれません。

さらにそこからよりモダンな作風で花鳥画を描いたのが融紅鸞(とおる・こうらん)です。

それから、大阪の歴史や風俗を描いた生田花朝がいます。洋風に、モダンになっていく時代に、歴史風俗を留めておきたいという願いを持って大阪の風景や祭りの様子などを描きました。やはり島成園に触発されて、帝展の入選を果たし、弟子をたくさん育て、大阪の女性画家の代表の一人となりました。
「四天王寺聖霊絵」は、四天王寺で行われる聖徳太子ゆかりの祭りを描いた大作です。境内を俯瞰するように描き、その中でたくさんの人が集まって祭りが行われる様子が細かく描かれています。そのほか川に船がたくさん行き来する「天神祭」。

大正から昭和になると、女性の画家もどんどん増えていきます。ただ、活動時期が短い人が多く、また結婚で名前が変わるなど本人の情報が不十分なことが多く、まだまだこれから研究の余地があるようです。
伝統的な美人画風の絵のほか、日常生活を描いた情景や、モダンな絵柄になっていくなど絵のスタイルも多様になっていきます。
ずいぶんたくさんの画家がいますが、作品は少しずつ。
「淀殿」は、華やかな着物をまとった堂々とした女性像で、まさしく「淀殿」そのものですが、長らく作者のことがわかっていませんでした。左下に書かれている「喜代子」という名前を手掛かりに、「西口喜代子」という画家を突き止めたものの、この人の経歴がわかりません。いくつかの展覧会に出品していることが確認されているだけで、生没年も不詳。

結局かなりの量の絵が展示されていて、最後はすっかり疲れてきました。

そんな最後に登場してインパクトを与えたのは再び島成園。
結婚後スランプに陥ったと言われた時期の、疲れ切った様子の自画像です。さほど大きくない絵ですが、自身の悩みや苦しみをさらけ出すようなリアルさは「美人画」に収まることのない資質を持ちながら、その部分が十分開花できなかった成園の画業人生を表現しているように思いました。

以前私が見に行った島成園の展覧会では、成園は病床にある父親の願いを聞いてお見合いをして、銀行員と結婚したのですが、夫は転勤が多く、しかも絵を描くことに対して理解がなかったということでした。まあ、結婚したのは大正時代ですからね。妻としての務めを優先することを強いられるのは当然の時代でした。なのでなかなか絵を描くことができなくなっていったということです。
その展覧会の日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970059404&owner_id=1362523

ついでに、別の「三都三園」の展覧会の日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1977337961&owner_id=1362523

他の画家では、裕福な家の習い事から始まって、婿養子を取った人とか、画家同士で結婚したとか、生涯独身だった人とか。
この展覧会では雑誌の表紙やうちわの絵を描いたり、絵葉書になったりといった商業的な仕事も紹介されています。有名な大家にならなくても絵を描いて生きていた女性画家は多かったんだろうと思いました。
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