帰国日になりました。ビュッフェで朝食を食べてたんですが、他のものを取りに行っている間にお皿などが片づけられてしまいました。食べかけのものまで…。中国語で「まだ食べ終わってない!」と抗議。最後に忘れ物がないか確認して部屋を出て集合。ホンマにフ
ペンテコステって「50」という意味だったんですね。「ペンタゴン」に通じる言葉ですね。キリストが復活して50日後に弟子たちに精霊が降り、各国の言葉で教えを広めはじめたということで、教会が誕生した日ともされます。で、その部分の聖書の記述、使徒行伝(
この日はホテルに戻ったのは7時台。今までで一番早いです。翌日は帰国ですが、飛行機が午後なので予定表では午前は自由行動。…と、書いてあったのでどこに行けるか考えていたのですが、解散前に翌日の予定を聞くと、出発は朝の9時。お茶のお店などに案内して
中山広場を出発しました。そこから旧日本人街をバスで通りました。中山広場から南下すると、七七広場と言う小さい広場があって、そこから伸びている南山街という通りを中心に、昔日本人がたくさん住んでいたそうです。日本風の家屋も少しだけ残っていますが、
左から大連賓館(旧ヤマトホテル)、旧横浜正金銀行、旧大連民生署。大連に戻って市街地に入ります。そうしたら、そこが満鉄で…という解説があってあわてて写真を撮りましたが、車窓からなのでいまいち合っているのかどうか不安。そうしたら、バスが停まりま
四、 大谷文庫かつて「大谷コレクション」のみが大谷光瑞と旅順博物館を唯一関連付けるものだったが、近年我々はもとの館蔵の図書資料の中で大谷文庫の蔵書の一部分を発見した。大谷光瑞は1915年に旅順に居を移してから、蔵書のほとんど全部を運んできた。そ
三、 大谷文物上述の文物のほか、旅順博物館に収蔵されている「大谷コレクション」にはさらにその他に分類される雑多な織物・貨幣・彫塑・木俑や泥俑・仏教絵画などがあり、これらを称して「大谷文物」という。織物では寺院に奉献され願掛けに使われた絹製の
二、 大谷文書旅順博物館が収蔵する「大谷コレクション」のうち最も数の多いのは新疆と甘粛の両地域で発見された紙文書で、現在では「大谷文書」という学術用語ともなっている。旅順博物館の大谷文書は四部分から成る。一つ目は当時の社会生活各方面の社会文
一、 古代インド彫刻古代インド彫刻とは、1世紀のガンダーラから12世紀のパーラ朝時期の仏教芸術を主とした石造彫刻を指し、地理的範囲は現在のインドからパキスタン・アフガニスタンの部分を含む。全部で106件ある仏教芸術のうちその早期段階である、パキス
これからは旅順博物館でもらった「旅順博物館95年簡史」の中から大谷探検隊の部分の日本語訳をUPしていきます。相変わらずぎこちない日本語だなあ、と思いつつ、どこまで意訳していいか、がこれまた難しく…。「旅順博物館95年簡史」より第三章 館蔵文物の
毎週火曜日BSフジでやってる「ヨーロッパ空中散歩」、今日はアンダルシア・グラナダ。今までもBS中心にグラナダとアルハンブラ宮殿を取り上げた番組が放送されることがあるとこまめに見ていました。だいたい実際に行ったところがテレビに映ると一生懸命見
日本で昭和18年(1939年)に出版された「満鉄附属地経営沿革全史」(上)第十四章に「大谷光瑞の蔵書は最初に満鉄大連図書館に委託されて保管され、大正十四年(1925年)に寄贈された」とある。これは1925年11月よりこれらの蔵書は大谷光瑞のものではなくなっ
前にショッピングセンターのミニ北海道フェアでこのラーメンを見つけて買ってみました。とりあえず、トマトスープ味一袋だけお試しに。おいしかったので、もう一度食べたいなーと思っていました。北海道まで行かないとダメなのかなあ…と思っていたら、高島屋
次に行ったのは水師営です。水師営は日露戦争でロシアのステッセル将軍が降伏の会見を申し入れ、乃木大将と会見をした場所です。小さい素朴な農家で、急遽会見のために近くの家がセッティングされたのでしょうか。実は、その農家はのちに取り壊され、現在見ら
これらの漢籍が収蔵されると、満鉄大連図書館の蔵書との構造と業務活動に一連の変化がもたらされた。まず満鉄大連図書館はさらに大量の漢籍、とりわけ地方志などの書籍の収集に力を入れるようになり、次々と人を派遣して中国国内の古籍や稀覯本を探させ、それ
これらの漢籍は日本でも求めても得られない稀覯本中の稀覯本であることから、1916年の春、日本人の「大連支那珍籍頒布会」は大谷光瑞の蔵書をもとに「含秀居叢書」を限定350種刊行することを決定した。しかしこの計画は実施されると同時に頓挫した。それはこ
大谷光瑞は海外に向けた布教活動を行い、さらに毎年のように海外へ行って各地の文物をかき集めたため、巨額の資財を消費し、本願寺は多大な債務を負った。1914年2月西本願寺は教団付属の慈善会基金および共保財の金を流用したこと、財務危機を招いたことで、