「シルクロードの仏教壁画
ドイツ西域探検隊とベルリン・コレクションの数奇な運命」
朝日カルチャーセンターで講座がありました。
本当なら月末は休んでる場合じゃないんですが、前日までに全ての支払処理を済ませて無理やり休みました。全部うまくいったか多少ドキドキでしたが、事務所から何も緊急連絡などなかったので多分大丈夫だったんだろうと。
さて、これは先日行われた「クチャ王国とインド仏教文化」の先生と同じ先生が新たな講座を行うと知って、休めないのに無理やり休んだわけです。
(前の講座の時の日記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984420227&owner_id=1362523
ドイツ探検隊の中央アジアコレクションは戦災に遭っていろいろ大変だったのは多少は知っていますが、今回改めてものすごく大変だったんだということがわかりました。
ドイツ探検隊は1回目と3回目がグリュンヴェーデル、2回目と4回目がル・コックが隊長でした。
それが、この二人の方針が真っ向から対立するほど違っていたのです。
グリュンヴェーデルは現地のものを持ち出すのには基本的に反対で、その代わり記録重視で詳細な見取り図や模写をしています。画才があって、その模写は現在では現地でも剥落が進んで見られなくなったものも詳細に模写して貴重な資料になっているそうです。
それに対してル・コックは壁画を「はがして、はがして、はがしまくった」(私がキジル千仏洞を見に行った時に同行の講師の先生がこう言っていたのが強く印象に残っているので、ル・コックと言えばこの言葉が浮かぶ)。
しかもル・コックははがした壁画の位置を記録するのもいいかげんで、さらに持ち帰った壁画を平気で外交の贈り物などで手放した。
そして、第一次大戦後、ドイツは超インフレ。収集品の大型カタログを計画するも、費用がまかなえなくなり、ル・コックは出版費用捻出のため主に4回目の収集品を売り払ってしまった!!
一応カタログは刊行されたそうですが。
更に第二次大戦が勃発します。当時の博物館は、ベルリンでもナチスの本部に近かったそうな。ということで、1945年に大掛かりな空爆が行われます。
一応博物館ではその前に収蔵品の疎開が検討されました。しかしこの博物館では中国美術なども収蔵されていて、そちらの方が優先順位が高かった。中央アジアの文物は「宗教・民族的資料」とみられ、美術品よりも低く見られていたのです。しかもトルファンのベゼクリク千仏洞の巨大な「請願図」は壁にはめ込まれていたので、取り外す時間も人手も資材も足りず、博物館が空爆されたときに運命を共にしました。
この請願図は当時の資料を基に龍谷ミュージアムで実物大で復元されました。
さらに、第4回探検隊では、ル・コックに代わって切り取った壁画の位置を詳細に記録していた隊員がいたのですが、その記録も焼失してしまい、もとの壁画の位置もわからなくなってしまいました。
さらに、戦後ソ連軍がやってきます。ソ連軍はドイツ中の博物館からいろいろなものを「戦勝品」としてごっそりと持って行きました。シュリーマンが発掘した「トロイの黄金」も持って行ったそうです。その中で、かろうじて防空壕に避難させて焼失を免れた西域壁画もソ連に持っていかれてしまいました。
ソ連ではこれらの壁画はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に保管されて詳細な研究・修復が行われていたそうです。エルミタージュにはもともとロシア探検隊が持ってきた中央アジアコレクションがあるので、それらの研究実績があったのでしょう。しかしドイツ探検隊のものは「戦勝品」として持ち去ったために大っぴらに公表するのははばかられ、表に出ることはありませんでした。(「トロイの黄金」も1994年まで隠されていて、現在はモスクワのプーシキン美術館で展示されているそうです)。
2011年になってやっとエルミタージュとベルリン国立美術館で研究協力協定が結ばれたそうです。先生はちょうどこの時期にドイツ留学をしていて、この協定のためエルミタージュにも行ったそうです。今はまだエルミタージュでは公開はされていないので、それを見たおそらく唯一の日本人です。いいな〜。ロシア隊とドイツ隊のコレクションが一緒に展示される日が来たらいいのに。
といっても、現在はまたもやロシアとの連絡が途絶えてしまってというか、行き来ができなくなっている状態なので、協力も途切れているわけですが。
さて、戦後かろうじて残った収蔵品は戦後作られた国立インド美術館に収蔵されます。2006年には東アジア美術館と併合されてベルリン国立アジア美術館になりました。
そうして2020年にはフンボルト・フォーラムが開館しました。これは博物館だけではなく、映画館、会議室、劇場、レストランなどがあり、様々なイベントが開かれる複合施設です。ここにベルリンの民族学博物館、アジア美術館、ベルリン市立博物館、フンボルト大学のコレクションが集められ、しかもその中で西域美術専用の展示室が設置されたのです。先生はこのフンボルト・フォーラムへの壁画類の移設にも立ち会い、展示のアドバイスなどもしたそうです。
前の講座でフンボルト・フォーラムのことは聞いていましたが、今回展示の様子や写真を見て、これが常設で見られるとなると、ますますベルリンへ行くべきか悩むようになりました。
しかも先生によりますと、これだけの美術館・博物館の収蔵品が集まっているので、1週間ぐらい見て回っても飽きないそうです。
プロイセンもドイツ帝国も興味がないから、ベルリンへ行っても特に見たいものは無し。なのでベルリンはそれほど行きたい所ではなかったんですが。となると、かえってフンボルト・フォーラムに通うためだけに行く、という計画も有りかも…。
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