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2019年10月16日04:15

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ローマ3章

01 では、ユダヤ人の優れている点は何か。また割礼の益は何か。
02 それは、色々の点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らに委ねられた事である。
03 すると、どうなるのか。もし、彼らの内に不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。
04 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「貴方が言葉を述べる時は、義とせられ、貴方が裁きを受ける時、勝利を得る為」と書いてある通りである。
05 しかし、もし私達の不義が、神の義を明らかにするとしたら、何と言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。
06 断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どう裁かれるだろうか。
07 しかし、もし神の真実が、私の偽りにより一層明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、私は尚も罪人として裁かれるのだろうか。
08 寧ろ、「善を来たらせる為に、私達は悪をしようではないか」(私達がそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。
09 すると、どうなるのか。私達には何か優ったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、悉く罪の下にある事を、私達は既に指摘した。
10 次のように書いてある、「義人はいない、一人もいない。
11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
12 全ての人は迷い出て、悉く無益なものになっている。善を行う者はいない、一人もいない。
13 彼らの喉は、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らの唇には、蝮の毒があり、
14 彼らの口は、呪いと苦い言葉とで満ちている。
15 彼らの足は、血を流すのに速く、
16 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
17 そして、彼らは平和の道を知らない。
18 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
19 さて、私達が知っているように、全て律法の言うところは、律法の下にある者達に対して語られている。それは、全ての口が塞がれ、全世界が神の裁きに服する為である。
20 なぜなら、律法を行う事によっては、全ての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによって証されて、現された。
22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、全て信じる人に与えられるものである。そこには何らの差別もない。
23 即ち、全ての人は罪を犯した為、神の栄光を受けられなくなっており、
24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いによって義とされるのである。
25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべき贖いの供え物とされた。それは神の義を示す為であった。即ち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見逃しておられたが、
26 それは、今の時に、神の義を示す為であった。こうして、神自らが義となり、更に、イエスを信じる者を義とされるのである。
27 すると、どこに私達の誇があるのか。全くない。何の法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
28 私達は、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
30 真に、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰の故に義とされるのである。
31 すると、信仰の故に、私達は律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法は確立するのである。
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