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2018年09月21日16:05

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縄文から弥生への仮説3 情念の行方

縄文から弥生への転換期に
時を同じくして母系社会から父系社会への転換が見られる

縄文土器はなぜ消えたのだろう
消えた後
あの縄文土器を支えていた情念はどこに行ったのだろう
母系社会が消えたことが一つの契機となるのであれば
あの縄文土器を支えていたのは
女性の情念だろう

文化が出現したり消えたりする理由は様々であるが
そのタイミングは非線形なものだ
支えていた要因が徐々に減っていけば
その結果である文化も線形に減っていきそうなものであるが
実際には ある一定数の要因が減れば
ある時を境として断絶的に文化も消える

おそらく縄文土器もそれを支える要因が徐々に徐々に減っていき
ある時 閾値を超えて急激な減少を見せたのだろうと思われる

そもそも 縄文土器とはなんだったのか
あの当時 この列島のほとんどの地域を網羅した
とても実用には無関係な装飾を施された土器は
なんのために作られていたのかは依然はっきりとしたことはわかっていない

しかし 当時の人々をあのような激しい造形に駆り立てるには
それ相応の動機が存在したはずで
しかもそれは ごく原初的で共通するものであったはずだ
おそらく 出生と死に関わる物語そのものだっただろう

おれはその担い手はほぼ間違いなく女性だっただろうと思っている
男は出生については快楽の部分でしか関わらない
また 生まれてくる子供の死に対しても
出産をする女性以上の感慨があったとも思えない
あの 限りなく抽象的でありながらも
見る人の心にその熱量を伝えるデザインが延々と一万年続くには
プリミティブなところで出産と死に関わる女性が伝え続けるしかないだろうと思う

まー 簡単に言えば祈りだ
人の生き死にに関する根本的な祈りが
あの造形の基本モチーフであったのではないかと思う
で この情念というものは
言葉にして言い表せない心の奥底からくる感情であって
論理的に言語化できる類のものではない
共通言語として伝えるならば
例えば音楽や絵画 そして造形になるべきものだと思う
そのものズバリではないものの
それを彷彿と呼び起こせる代替品となるようなもので表現するしかない

単に母系社会が消えたぐらいで その情念が消えたとは到底思えないので
何かしらの表現の交代があったものだと思われるが
それがなんであったのかは全然わからない

もしかしたら と考えられるのは
男性にその祈りの役割が以上されたのではないかと思っている

今日 神道と言われる宗教形態にも
この辺りの時期に深い断絶がある

母系社会は 割と氏族的なつが狩りが明確ではない部分がある
結婚や離婚に対してもかなりあやふやで
誰がどこ子供の親であるのかもはっきりしない
ただ 母親だけははっきり知っている
だからこその母系社会だ
しかし 父系社会では氏族的つながりが明確となって
父系の財産を確実にその子供に伝えていく
いわば契約社会的な原因とみることもできる

その後 氏族単位の氏神を祀る「神道」が発達していくことになる
現在の神道の儀式や建築様式は朝鮮半島からもたらされたもので
一族の繁栄と無病息災を願う呪術の信仰が原点だ
その原点がいつの頃に持ち込まれたものであるかははっきりしないが
およそ稲作と同時期に その黎明期があると思って差し支えはないだろう
本格的に持ち込まれるのは紀元後になるが
男が実験と家督を継ぐ社会で
宗教的主導権を女が握り続けたとは思えない
いわゆる神道は弥生時代に準備され
大和時代あたりにとりあえずの完成をみたのだろう

宗教がある程度整備されていけば
情念に基づいた動機は薄れる
表面上のしきたりや形式を行えば問題はとりあえず解決されるとなれば
無文の湧き上がる感情だけに頼った祈りは廃れたのではないか

まー 銅鐸に書かれた絵を見たときに
直感的にではあるが
これは男が描いたのだなと思ったw
なんの情念の高まりも感じさせない記号的な絵は
なんかこー 拍子抜けするような脱力感に満ちているw

要は
縄文のパッションは
おそらく弥生の契約的なシステムに駆逐されて消えたのだろうと思う
しかし それは時代の伏線となって時折顔をちらつかせる生物としての人間の祈りだ
今後どんな展開で表面化するのかは 誰にもわからない

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