83年10月23日は日曜日の後楽園ホール大会(観衆3000人満員発表、テレビ収録)、私はこの興行は観戦しに行きました。
メインイベントはUNヘビー級王者、テッド・デビアスに天龍が再度、挑戦。
10月14日、佐世保市体育文化会館の初戦ではデビアスが得意の足4の字固めに来たところを首固めに丸め込む必勝パターンに持ち込んだ天龍でしたが、さらにそれを一回転されて逆転負けを喫してしまいました。
同一カード2連敗では次回挑戦チャンスはかなり遠退いてしまうことは確実、ここで王座奪取に失敗すればこのシリーズでのチャレンジの機会はなく、背水の陣での挑戦でした。
デビアスは天龍のデビュー戦(76年11月13日、テキサス州ヘレフォード、15分時間切れ引き分け)の相手でしたが、実際はデビアスが天龍に付き合ってプロレスラーとしての基本的な動きが出来るかどうかを試された査定試合に過ぎず、同じテキサスでエル・タピアというジョバーを相手に2分でデビュー戦を勝利で飾った鶴田とはえらい違いでした。
試合はデビアスがまたも足4の字狙い。この辺りは、次期NWA世界ヘビー級王者を意識した動きと言えます。
天龍は場外のデビアスめがけトペを敢行、試合の突破口を見出だしていきました。
天龍が延髄斬り、デビアスは場外転落。これを追う天龍、場外で天龍はデビアスを担ぎ上げてバックドロップ。
リングに戻ろうとした天龍を下からデビアスが足を引っ張ってこれを阻止。20分24秒、両者リングアウトの引き分けとなりデビアスが2度目の王座防衛に成功しています。
UNヘビー級のベルトは海外へ再び流失が決定、天龍は前王者だった鶴田がこの83年に2回UNタイトル戦を行い、2度ともフォール勝ちしているデビアスに1敗1分という成績で王座奪取を逃しました。
天龍のUNヘビー級王座獲得のチャンスは翌84年に持ち越しになった訳です。
セミファイナルは鶴田、阿修羅・原組がシリーズ最終戦の11月3日、後楽園ホールで馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦が決まっているスタン・ハンセン、ワンマン・ギャング組と対戦。
ハンセンが原をウエスタン・ラリアットでKOしています。
セミ前は馬場、マイティ井上組vsマイク・ドゲンドルフ、サイクロン・ニグロ組。
10月21日、松本市総合体育館から特別参加のドゲンドルフはこの時初めて生で観ました。見た感じはヘラクレス・ヘルナンデスを小型にしてウェストをスリムにした感じでしたが動きは筋肉マンタイプにありがちなカタい動きでした。
試合は馬場がジャイアント・フットスタンプでニグロをフォールしています。ニグロが取られたことで、ニグロより扱いは格上なのはわかりましたが、試合自体はしょっぱかたです。
これならまだキラー・ブルックスを通しで呼んで、地方でハンセンと組ませた方がよっぽどいい仕事をしただろうと思いました。
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