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2024年01月14日13:39

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坊ちゃん文学賞,案の定落選です平安時代小説『泥の民』公開です

『泥の民』

 アオと呼ばれる男、幼少の時分、闇から目覚めれば、寝殿の畳床に寝そべっていて、下女に起こされ、飯や魚や菓子を与えられ、蹴鞠を遊んで過ごすのだと、有り得ない夢を切に願いながら夜床に横たわるのだが、破屋の壁の隙間より溢れる日の光と風、雨の日なら顔に落ちて来る雫に夢を覚め、それまでと何ら変わりない無慈悲な朝を迎えるのが常であって、時を経て大人になった朝、その命は侘しさの溜まり場の底で蠢く虫の類で、身を起こせば、そこに集っていた蝿の奴らは背の翅を動かし嘲笑うように音を立てて飛び回るのである。

 今日は増しな方である。冷徹な冬も柔和になり、木端喧嘩の声も無い。アオは泥の乾いた足を土間に下ろし、川で汲んでいた濁った水を手で包んで飲んだ後、足にかけて泥を取り、その手で顔を拭いて伸びをした。手の甲が屋根に当たっはずみに中腰になって外へ出る。髭にしがみついた露が朝日を受けて光った。
 人影が無い事に気づいた。こんな日は川縁で何かが起きている。犇く荒屋を縫って行くと、開けた場所に人集りが出来ている。隅に馴染みのゲンが腕を組んで立っていて、アオに気づくと、ゲンは目を見開いた。
「アオ、飯ぃ食わしてくれるとさ。」
「あ?誰が?」
 アオは顎を上げ、ゲンは首を傾げる。
「お上が食わしてくれるんだろ。エビとかニシとか言うておったが。」
 アオはゲンに付き合うことにした。

 役人の後を群がりついて行く者達は二十人になり、祭りに繰り出すかのように賑やかに歩いている。しばらく行くと、この辺りで一番広い河川敷から煙や湯気が上がり、そこには既に数百人もの人々が集まっていた。
「急がねば食い物が無くなる!」
 ゲンが慌てて小走りになると、役人が大声を上げる。
「走るな!皆が勝手に走れば、倒れる者が出て、次々に倒れ込み死人が出る。食い物は十分にあるゆえ、心鎮めて大人らしく致せ!」
 一同無言になるが、ゲンは喧嘩腰に言い返す。
「何を偉そうに。わらべ扱いしおって。おぬしが食わしてやると言うから、素直に従ごうておる。おぬしなど体を六つに引き裂いて塩振って干物にするくらいいつでも出来る!」
 皆の視線が役人の顔に注がれた。
「おのれらの十人や二十人、首を切落とすのは容易い事。小童は黙っておれ。」
 役人は落ち着いていたが、ゲンの目が血走っており、集落の男達は、ゲンを止めにかかった。
「ならばやってもらおうか、おう、おう!」
 ゲンは野良犬のように歯を剥き出しにし、役人に飛びかかろうとしている。
 役人の刀に手がかかった。慄いた男達の手が緩み、ゲンは獣のように放たれた。と同時に刀が素早く弧を描いた。ゲンは役人の足元に倒れた。そしてゲンの上にアオが覆い被さる。
「お待ち下さい。此奴にお許しを!ただの痴れ者でございます。斬れば刀も穢れましょうぞ、ここはどうか刀をお納め下さい。」
 アオはそう言って、立ちあがろうと藻搔いていたゲンの顔を力一杯殴った。
「痛え!畜生め、何しやがる!」
 アオは更に殴りつけた。
「おどれのせいで、皆斬られる所だったのだぞ!」
 ゲンの顔は腫れ上がり、役人は静かに刀を納めた。
「もう良い、アオとやら、先の技のごと、これからも此奴の面倒をみよ。また、おぬしは川端集落の頭となりこの者どもを束ね生き止まりへと導け。」
 男達は役人の言葉を聞き、アオを見て頷いた。
「それ、飯を食え。」
 役人の言葉に二人は立ち上がり、河川敷へと下りた。そこは粥の炊ける匂いと食事をする歓喜の声に包まれていた。皆は地に座して粥の椀に手を伸ばした。
「ゲン、死に急ぐな。」
 アオに言われゲンは痛みに堪えながらしかめっ面で言う。
「こんな世の中生きながらえる気もとうに失せた。おぬしが足を掛けなければ斬られていたろうが、虫けらはそんなものよ。」
 膝に留まった蝿を手で潰し、ゲンはその掌をしばらく見つめていたが、地面に擦り付けて拭い、少しずつ粥を啜った。魚なども食べ終わり、皆が寝そべり始めた頃、役人達が一同に声を上げた。
「皆の者、鎮まれ!」
 河川敷は幾つもの集団に分けられ、それぞれ十数人の役人に囲まれていて、弩(いしゆみ)を持った兵士も居た。壇上に役人の一人ずつが立った。
「帝より賜りし御食(みをし)、有難く頂いたことであろう。つまりおぬしらの言葉で言えば〜うまかったろう?」
 あちこちで笑いが起きた。どの壇上でも同じ話をしているようである。
「先に告げた通り、今後おぬしらに飯を食わせる代わりに、蝦夷(えみし)征討へ出てもらう。帝の為にお勤めを果たせば、食うに困る事は無い。帝の下部(しもべ)どもよ、いざ蝦夷征討へ!」
 皆、喊声を上げた。殆どの者が、自由を奪われることより飢えずに過ごすことの方が重要なのであった。

 その後、周辺地域からも農民が集められ、正規兵と合流して東へと向かった。木刀で訓練を重ねながら進み、関東で更に北上して、蝦夷征討の前線間近、陸奥国に辿り着いた。長大な築地(ついじ)と堀に囲まれた建築中の胆沢(いざわ)城を目の前に、派遣兵達は事の重大さを感じ取った。川端の兵士の居る農村部隊は胆沢城を取り囲むように野営する事になっていた。
「我ら泥に生きる者は、壁の中さえ見せてもらえぬのだな」
 ゲンは築地を見遣りながら言った。
 
 翌、夜明け前、築地の向こうから多勢による鬨の声が上がった。
「おい、起きているか?」ゲンが呟くように言った。
「ああ。」アオが答える。
 ゲンは体を起こしアオの顔を見た。アオは目を開けていた。
「いよいよぞ。アオ、おぬしの言う通りに動くから、よろしう。死ぬのは良いが、長く苦しむのは勘弁。殺して楽にしてくれ、頭!」
 周りの者も起き上がって頷いた。
「分かった。鳥を絞めるのは得意な事よ。」
 アオの言葉に皆笑って肩を叩き合った。
 夜明け、出陣の朝である。門外で寝ている者達は起こされ、乾飯を噛み、身支度を済ませると刀が配られた。そして、各集団ごとに戦法の説明が行われたが、率いていた役人が全て別の兵士に交代してしているのが分かった。アオは決心がついた。
「あの二十人斬りの役人は、さらばとも言わず。我ら帝の下部を使い捨てるか。この二十人は死なせぬぞ。」
 アオは、ゲンに耳打ちして、他十八人に独自の作戦を伝えた。
 全征討兵士は無言で歩く事を強いられ、いつでも戦闘出来る態勢で行軍した。
「いっそ早う出てくれば良いものを。我ら川端の汚い泥団子を恐れているのか?」
 敵に出会わないまま、日は傾き、山道に差し掛かる。引率の兵士はそれぞれ刀を抜き、天へ向けて歩く。一行は緊張感に満たされた。列の至る所から、両脇の林に向け探りの矢が放たれ始め、行軍は慌ただしくなった。道が折れる辺り、前方右の斜面から俄かなざわめき。直後、敵兵が現れた。
「敵襲!敵襲!刀を抜け!弓を撃て!」
 右に応戦する者、左へ逃げる者、刀を振り上げて大声を上げる者、全体が騒然となる。
 アオ達も刀を抜き成り行きを見ていた。左の林から悲鳴が起こり始めた。そしてまた敵が現れる。左右から挟まれた前方の列は壊滅状態。敵はやがて後方へと移動して来る。アオは無言で刀を突き上げ、右奥へと差した。アオの集団二十人とそれに釣られた者達が右の林へと流れる。アオの集団はバラバラになりながらそのまま林の奥へと進み、後ろの集団は、引率の兵士の怒号で、蝦夷軍へ後方からの反撃に出た。
 アオ達は山を登り、頂を越えたところで足を止めた。百人余りの集団となっていた。ついて来た者はほぼ戦に加わらず逃げた者だけで、正規兵も混じっていたが、明らかにアオという頭に従っていた。
 頂から山道を見ることが出来たが、蝦夷軍の姿は既に無かった。戦は数で勝る征討軍ではあったが奇襲によって甚大な被害が出た。逃走兵達は、どちらの軍にも見つからないよう、征討軍に並行して尾根を進んだ。
 数日が経過しアオは今後の動向に迷っていたが、食料が底をつき、山を下りて調達しようとした時、数百の軍勢が動いているのに気づいた。蝦夷軍である。農民ばかりに数名の正規兵という半端では勝ち目は無い。アオは全員に考えを伝え地に座した。蝦夷軍は直ぐそばまで近づいた。
「帝の兵士か!?」先頭の大きな男が全軍を止める合図をして声をかけて来た。
「左様なり。」アオが答える。全員あぐらのまま目を瞑っている。双方刀を抜かない。相手は落ち着いて問う。
「他にも兵は居るのか?」
「この辺り、至る所に。」とアオ。
 相手は馬を下り、一礼した。
「我が名を阿弖流爲(アテルイ)、此れは母禮(モレ)という。我が地の民の為、投降致す所存。」
 アオは目を開けた。相手の話について行けず、正規兵を呼んで話を聞き、考え込んだ。
「討たれるお覚悟か?」とアオ。
「坂上将軍より生かすと言って来ておる。」とアテルイ。
「おぬしは痴れ者よ。」
 蝦夷軍は刀に手をかけた。アオはそのまま続ける。
「帝や役人は味方の我らを使い捨てする輩。命は無かろう。生きて民の心の拠り所となる為、信用できる身代わりを立てられよ。我らも誠を持ってお助けする。」
 配下の者から手が上がった。
「我、アテルイなり。」続いてもう一人。
「我、モレなり。」
 それぞれの側近で崇拝者でもある年恰好似の男達である。アテルイ、モレ本人達は、その夜、身代わりの者達と話し合い、別れの酒を酌み交わした。
 翌朝、アテルイとモレに見送られながら、アオ達は身代わりの者達を連れ、征討軍へと戻った。
 その後、アテルイ、モレは歴史上、坂上田村麻呂に連れられ、遥か南の河内国で斬首されてこの世を去った。また、アオという男の名は歴史上かけらも無い。
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