mixiユーザー(id:2230131)

2020年09月24日12:43

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Lemonade/Beyoncé

 前作『ビヨンセ』の時点ですでにビヨンセ流「アートな歌姫」路線は最高潮に達していたものの、それを上回る飛躍を遂げて批評的にも成功したビヨンセの2016年作『レモネード』。(なんでもっと早く聴かなかったのだろう)

 本作の最大の特徴といえば、まるで異種総合格闘技のようなジャンルの横断性。とりわけ個性的なのが、なにかと身内で固めたがるブラック・ミュージックのシーンにおいて(ラップのアルバムで何度ドレイクやリアーナの名を目にしただろう)、本作は自らが属するシーンとは対立していたと思われたジャンル、すなわち白人によるインディ・ロックやエレクトリック・ミュージックのスターを大々的に抜擢していること。
 ジャック・ホワイト客演の“Don’t Hurt Yourself”(ジャックの声真似も披露している)が象徴的だが、ジェイムズ・ブレイクもパーツとして素晴らしい声を提供しているし(“Forward”)、なんとエズラ・クーニグやパンダ・ベアーすら作曲者として招集されている曲もある。

 10年代はポップ・ミュージックの主役が従来のポップ/ロックから、R&B/ヒップホップへと政権交代を果たしたディケードだと言われるけれど、まさにそんな時代を象徴する作品と言えるかもしれない。かつての白人音楽家が、辺境のワールド・ミュージックへの理解を示すための手段として、半ば上から目線で異国文化のエッセンスを搾取していた時代を考えると、本作のオープンな多様性はひとしお感慨深く、まさに音楽史にとって画期的な瞬間ではないかとすら思う。
 彼女は両者の対立構造をことさら煽るわけではなく、むしろ自分こそが全人類のポピュラー・ミュージックを背負って立つ代表選手なんだと自覚し、相応の気概とプロ意識を持って挑んだであろうことを、本作の並々ならぬ熱量からは感じることができる。

 この万国博覧会のようなアルバムに対して、まるで10年版『スリラー』のようだという評を見かけたけれど、僕は100%同意する。今思えば、『スリラー』にはポール・マッカートニーというロック界の大御所が共演する曲があった。マイケルは自分では曲を作っていないでビジュアル表現(映像でのパフォーマンス)ばかりに頼っていると誤解されていた節があったが、それと同じ誤解がビヨンセにも生じていることすら似ている(笑)。

 ジェイ・Zの不貞を告発する歌詞の内容が、そのまま「虐げられた黒人や女性たち」に対するアナロジーとして機能している点を評価する向きもあるが、僕はまずこの音楽の溢れんばかり越境性に説得力を感じるし、それをいともたやすく乗りこなすビヨンセの凄みに圧倒された。
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