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2019年11月02日00:00

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1コリント4章

01 このような訳だから、人は私達を、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。
02 この場合、管理者に要求されているのは、忠実である事である。
03 私は貴方方に裁かれたり、人間の裁判にかけられたりしても、何ら意に介しない。いや、私は自分を裁く事もしない。
04 私は自ら省みて、何らやましい事はないが、それで義とされている訳ではない。私を裁く方は、主である。
05 だから、主が来られるまでは、何事についても、先走りをして裁いてはいけない。主は暗い中に隠れている事を明るみに出し、心の中で企てられている事を、露わにされるであろう。その時には、神からそれぞれ誉れを受けるであろう。
06 兄弟達よ。これらの事を私自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それは貴方方が、私達を例にとって、「記されている定めを越えない」事を学び、一人の人を崇め、他の人を見さげて高ぶる事のない為である。
07 一体、貴方を偉くしているのは、誰なのか。貴方の持っているもので、貰っていないものがあるか。もし貰っているなら、なぜ貰っていないもののように誇るのか。
08 貴方方は、既に満腹しているのだ。既に富み栄えているのだ。私達を差しおいて、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、私達も、貴方方と共に王になれたであろう。
09 私はこう考える。神は私達使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうして私達は、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。
10 私達はキリストの故に愚かな者となり、貴方方はキリストにあって賢い者となっている。私達は弱いが、貴方方は強い。貴方方は尊ばれ、私達は卑しめられている。
11 今の今まで、私達は飢え、渇き、裸にされ、打たれ、宿なしであり、
12 苦労して自分の手で働いている。辱められては祝福し、迫害されては耐え忍び、
13 罵られては優しい言葉をかけている。私達は今に至るまで、この世の塵のように、人間の屑のようにされている。
14 私がこのような事を書くのは、貴方方を辱める為ではなく、寧ろ、私の愛児として諭す為である。
15 例え貴方方に、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音により貴方方を生んだのは、私なのである。
16 そこで、貴方方に勧める。私に倣う者となりなさい。
17 この事の為に、私は主にあって愛する忠実な私の子テモテを、貴方方の所に遣わした。彼は、キリスト・イエスにおける私の生活の仕方を、私が至る所の教会で教えている通りに、貴方方に思い起させてくれるであろう。
18 しかしある人々は、私が貴方方の所に来る事はあるまいとみて、高ぶっているという事である。
19 しかし主の御心であれば、私はすぐにでも貴方方の所に行って、高ぶっている者達の言葉ではなく、その力を見せて貰おう。
20 神の国は言葉ではなく、力である。
21 貴方方は、どちらを望むのか。私が鞭をもって、貴方方の所に行く事か、それとも、愛と柔和な心とをもって行く事であるか。
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