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2019年10月17日22:10

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1980年代後半の空気

 思い出補正もあるのだろうけれど、1980年代後半はテレビや漫画、ゲームなどのトレンドも子どもを意識したものが多くて、その時代を小中学生として過ごした私にとっても、懐かしくも楽しい時代だった。年代的に、団塊ジュニア世代も含まれているため、子どもの数が多くて、それゆえに子どもをターゲットとした市場が一気に広がったのだといえる。その証拠に、テレビや雑誌を中心に流行したものは、私よりも少し上の世代(つまり団塊ジュニア世代)を追うものが多かったからだ。特に、女子高生や女子大生が流行の担い手といわれていたのは、そこが団塊ジュニア世代と一致していた頃だったからだろう。

 私が小学生になる頃、ファミコンが世に出た。ファミコンとジャンプがある家に人が集まり、人数が揃うと公園や空き地で野球やサッカーをするというのが定番だった。まだ駄菓子屋があって、その時々で流行るものも変わった。キンケシ、ビックリマンチョコなどはもちろん、何だかよく分からないものも一時的に広がった。牛乳瓶のキャップをやたらと集めていた時期もあった。ホッチキスの針がクラスの共通貨幣になって、いろいろなものを交換するという時期もあった。あれは一体なんだったのか。

 テレビも、夕方にアニメの再放送や、ドラマの西遊記をみんな見ていて、夜も七時台にやはりアニメがあり、八時台からはバラエティをやっていた。親子、兄弟間でのチャンネル争いが熾烈な時代でもあった。
 テレビだとフジテレビ、ラジオだとニッポン放送(オールナイトニッポン)的なものが、とても斬新なものに見えていた。いまは逆に、そうした雰囲気がひどく古臭く感じるようになったのだから、時代も変わるものだと思う。俺たちひょうきん族、笑っていいとも、それらに最も影響を受けた世代でもあったのだけれど。

 先に思い出補正と書いたけれど、この頃はどこでも喫煙ができて、電車のなかも例外ではなかったし、排気ガスもまだひどかった。冷暖房は決して当たり前でもなく、イジメや体罰も日常茶飯事だった。食べ物にしても、いまよりもバリエーションは少なかったはずで、味も濃かった。環境や健康などにも関心が向かいつつあったけれど、まだ十分ではなかった。

 それでも、若者文化がトレンドになれる世の中は、粗削りではあっても活気はあった。そういう時代の空気を享受できたのは、悪いことではない。いま、小中学生に人気のものも、実はその親世代、つまり団塊ジュニア世代あたりが同じ頃にブームになっていたもののリバイバルであることも多い。若者文化が、それ自体で新しい価値観を見出せなくなってきているのは、社会が活気を失っているからともいえるのではないか。

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ファミコンとコロコロと高橋名人に夢中だった思い出がよみがえる 1975年生まれ直撃の雑誌『昭和50年男』創刊
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