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2019年02月14日17:48

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明智光秀のこと

 戦国大名は、町おこしにおける「ご当地キャラ」になりやすい。それゆえに、仙台であれば伊達政宗、広島なら毛利元就に人気が集中する。また、そうした地方の武将たちの知名度を引き上げているのは、先述したような大河ドラマなどの影響が大きい。

 逆にいえば、「ご当地キャラ」の素質は十分なのに知名度が足りないのは、ドラマに描かれていないとか、扱いが悪かったりする場合が当てはまる。今川義元などは、どうしても織田信長の引き立て役に甘んじている気がしてならない。どちらも最期は襲撃を受けている点では変わらないはずなのだけれど。


 来年の大河ドラマは明智光秀が主役という。ただ、光秀の出自は史料がほとんどなく、将軍・足利義昭に仕えたのち、織田信長の直臣となったというくらいしか分からない。足利将軍家での地位も、それほど高くなかったのではないかという程度の理解に過ぎない。

 織田家臣団のなかで、外様、かつそれほど身分が高くないなかで、部将に抜擢されたという点では、羽柴秀吉らと同じく、合戦や外交、調略などで結果を重ねていった存在だったとも考えられる。また近年では、信長の評価に変化が生じていることから、光秀像の見直しも進みつつある。

 有力守護出身の名門・土岐氏の一族という出自も疑問で、室町将軍家の有力幕僚でもないというなら、教養人といわれているのも、出世とともに必死でそれを身に着けていったということになる。信長を討ったことでよくも悪くも歴史に名を残した人物だけれど、彼に叛いた部将は他にもいる。たとえば、荒木村重はその一人だけれど、いわば「成り上がり」で信長に見出され、謀叛に及んだ点ではとても似通っている。
 織田家臣団は、畿内に勢力を拡大するなかで、多くの人材を登用したと思われるけれども、明智光秀や荒木村重のような、「努力家」も多数それに加わっていたのだろう。そうした「努力」を踏まえてみれば、彼らの謀叛も自らの生き残りを賭けたものに違いなく、妙な陰謀論とは無縁のところで彼らは生きていたと考えたい。

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■好きな武将、東西で違う傾向 東京「伊達政宗」、大阪「真田幸村」、7位に「明智光秀」が共通でランクイン
(キャリコネ - 02月14日 14:30)
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