■福田恆存の「平衡感覚」とは
●私は自分自身が、中庸や節度、あるいは漸進、また
融通、寛容といった徳目や美質に欠けており、ヤバイ人間で
ある、という自覚をもっている。
そのことは、日記「寄り道ついで」の「親近感」「ヤバイ人」に書いた。
02月07日00:47 ●
寄り道ついで (39)/■親近感
02月08日00:23 ●
寄り道ついで (40)/■ヤバイ人(1)
02月08日21:27 ●
寄り道ついで (41)/■ヤバイ人(2)
02月09日03:18 ●
寄り道ついで (42)/■ヤバイ人(3)
02月09日13:54 ●
寄り道ついで (43)/■ヤバイ人(4)
02月10日02:18 ●
寄り道ついで (44)/■ヤバイ人(5)
02月11日04:16 ●
寄り道ついで (45)/■ヤバイ人(6)
02月11日14:36 ●
寄り道ついで (46)/■ヤバイ人(7)
02月12日14:19 ●
寄り道ついで (47)/■ヤバイ人(8)
「高見順」について書きながら、自分の「ヤバさ」や、
言葉の正当な意味で「身を保つ」つまり「保身」ということについて
考えた。
そして、危ういところで「救われ」、あるいは「身を翻し」
「翻身」することの大切さのことを考え、「バランス」ということや
「中庸」や、「ほどほどに」ということ、などを思った。
●里中哲彦「まともな男になりたい」の第6章は、
「平衡感覚を生きる」ということで、私のいろんな思いとも
重なるものだ。
第6章はたった24ページの分量しかない。
全ページ数(「あとがき」を含め221ページ)の按分から
すると、それこそバランスを欠いているが、この章は最終章で
本書の「まとめ」の役割を果たしている大切な部分である。
「大部、必ずしも尊からず」、「山椒は小粒でピリリと辛い」、
精読に値する章である。
●私が「異議申し立て」をしている、「福田恆存」の扱いも
この章で現れる。
私の言いたいことが伝わるか、否か。自信はない。
できれば、直接、里中哲彦「まともな男になりたい」を読んで
いただきたい。
そして、福田恆存「私の幸福論」を読んでいただきたい。
つぎから、この章を少しずつ、一緒に読んでいきたいと思っている。
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