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2006年04月13日05:24

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●「現実」を引き受ける/■福田恆存の「平衡感覚」とは

■福田恆存の「平衡感覚」とは

 ●私は自分自身が、中庸や節度、あるいは漸進、また
  融通、寛容といった徳目や美質に欠けており、ヤバイ人間で
  ある、という自覚をもっている。

  そのことは、日記「寄り道ついで」の「親近感」「ヤバイ人」に書いた。

   02月07日00:47 ●寄り道ついで (39)/■親近感
   02月08日00:23 ●寄り道ついで (40)/■ヤバイ人(1)
   02月08日21:27 ●寄り道ついで (41)/■ヤバイ人(2)
   02月09日03:18 ●寄り道ついで (42)/■ヤバイ人(3)
   02月09日13:54 ●寄り道ついで (43)/■ヤバイ人(4)
   02月10日02:18 ●寄り道ついで (44)/■ヤバイ人(5)
   02月11日04:16 ●寄り道ついで (45)/■ヤバイ人(6)
   02月11日14:36 ●寄り道ついで (46)/■ヤバイ人(7)
   02月12日14:19 ●寄り道ついで (47)/■ヤバイ人(8)


  「高見順」について書きながら、自分の「ヤバさ」や、
  言葉の正当な意味で「身を保つ」つまり「保身」ということについて
  考えた。

  
  そして、危ういところで「救われ」、あるいは「身を翻し」
  「翻身」することの大切さのことを考え、「バランス」ということや
  「中庸」や、「ほどほどに」ということ、などを思った。



 ●里中哲彦「まともな男になりたい」の第6章は、
  「平衡感覚を生きる」ということで、私のいろんな思いとも
  重なるものだ。


  第6章はたった24ページの分量しかない。
  全ページ数(「あとがき」を含め221ページ)の按分から
  すると、それこそバランスを欠いているが、この章は最終章で
  本書の「まとめ」の役割を果たしている大切な部分である。

  「大部、必ずしも尊からず」、「山椒は小粒でピリリと辛い」、
  精読に値する章である。


 ●私が「異議申し立て」をしている、「福田恆存」の扱いも
  この章で現れる。

  私の言いたいことが伝わるか、否か。自信はない。

  できれば、直接、里中哲彦「まともな男になりたい」を読んで
  いただきたい。

  そして、福田恆存「私の幸福論」を読んでいただきたい。



  つぎから、この章を少しずつ、一緒に読んでいきたいと思っている。



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