mixiユーザー(id:1040600)

2006年02月10日02:18

33 view

●寄り道ついで (44)/■ヤバイ人(5)

■うそ

 ▼「馬鹿正直」や「生真面目」というのは、「正直」や「真面目」という「力」が、
  普通の「正直」や「真面目」より、もっとたくさんあるということだろうか。

  どうも、そうではないような気がする。
  より「強力」である、というより、それは何かの「欠落」ではないのか。



 ▼「過ぎたるは及ばざるが如し」のように、過剰はある種の不足であって、
  極端に走るのは、何かが欠け、不足しているように思う。



 ▼「嘘」についても、そうだった。
  私は、「うそをついてはいけません」と言われて育ってきた。
  嘘をつくのは悪いことだと教えられてきた。


  いまの子供たちにだって、親は、そう教えるにちがいない。

  私の母は、当時の母親が子供にしつけるように、「うそをついてはいけません」と、
  ただ当たり前に、そう教えただけで、とくべつに「嘘」について、何かを教えたわけでは
  なかった。


  ただ、少し違ったのは、シベリアから引き揚げてきた若き「父」が厳しかったことだ。


 
 ▼淡路の津井の「中央」で暮らしていた頃、妹のミルク用としてあったのかどうか、
  (なぜあったのかは判然としないが)、台所に缶詰のコンデンスミルクがあった。

  加糖練乳で、舐めると甘くて、舌がとろけるようなおいしさだった。

  家が留守のとき、私はこっそり、それを取り出し一口ごくりと飲み、舌なめずりした。
  缶には二箇所、穴があけてあって片方の穴は空気抜きで、もう片方から口をつけて、
  チューっと吸出し、ごくりと飲む。

  おいしいから、また一口飲む。


 ▼コンデンスミルクは、当時、高価というか、我が家では自由に子供が飲むものとして
  買ったものではない。

  親の目を盗んで、私は、量が減ること、それを親に気づかれることを心配しながら
  少し、ほんの一口と思って飲んだ。

  もとの場所に缶をもどして、私はコンデンスミルクのことは親には言わなかった。
  何食わぬ顔をしていた。

  でも、きっと顔にも現れていたに違いない。


 ▼そして、案の定バレて問い質されたのだと思う。
  そして、嘘をついたのだと思う。

  はっきりとは覚えていない。

  父は、「こっそりミルクを飲んだことは悪いことだが、それ以上に、嘘をつくことはもっと悪い」
  というような理屈を説いたかもしれない。

  ともかく、こっぴどく叱られたと思う。
  私は強情だから、折檻されたのかもしれない。

  もう、みんな忘れてしまっている。
  しかし、コンデスミルク事件があったことは事実で、そのことで、私は「嘘」についての
  記憶が残った。



 ▼子供は嘘をつくものである。
  自分の置かれている状況が窮地に陥れば、言葉で事実を挽回しようとする。

  自分の身の安全を図る。 保身する。


  大人は嘘はつかないのだろうか。
  「父」は嘘をつかないのだろうか。

  でも、嘘をつくのはよくないことだ。



 ▼この事件は、小学校にあがる前のことだったろうと思う。
  それ以降も、私は何度か嘘をついた。
  バレて叱られたこともあったろうし、バレなかったこともあっただろう。

  バレなくても、嘘をついたことを自分は知っている。


 ▼小学生になり、中学生になり、高校生になっても、
  「嘘」は私にとって大きな問題だった。

  「私はうそつき」なのだろうか。
  「偽善」という言葉を知り、そのことで悩む以前に、「事実」と「嘘」ということで私は悩んだ。

  大学にあがり、社会に出ても、この「問題」は私を悩ませた。



 ▼さてさて、この歳になって翻ってみるに、果たして「事実」というもの
  にはどんな価値があるのだろうか。

  「事実」は「事実」にしか過ぎない。
  そんなもののために、どうして言葉でもって「事実」を覆そうとするのか。

  言葉で「事実」は覆りはしない。
  そんな当たり前のことがわかっていながら、「嘘」をつく。

  「嘘」とは一体、何だろう。


■案内
 ・日記「総目次」 −テーマ別−
 ・「Home」&「更新記録」

0 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する