■花見を待つ
●WBC、日本が勝つ。すこし嬉しい。
オリンピックもそうだったが、少しずつ熱狂から遠くなっていく。
覚めている、というより、私が後ろに退き、そのため
遠景のように、すべてが遥かになっていく。
そのときは、あれほど、
チイサナコトニ、コダワリ、ココロマドウ
のに、である。
これは努力ではない。自然である。
「すこし嬉しい」と、「嬉しさ」がすこし残るところが嬉しい。
●花見の案内状を出す。2日にするか、9日にするか。
窓から見える「中公園」の樹木を見ながら、思案する。
妻は休みで、シャンソンに出かけた。
「夜は、自分で食べるのよ」
そう言って、出かけた。
もう少しして、リファーレ横尾に下りよう。
「カフェ・グレイス」でコーヒーを飲もう。
吉本隆明・辺見庸「夜と女と毛沢東」の続きを読もう。
●きのう書いた「馬鹿は教えたがる」は、この私のことだが、
馬鹿は足元が見えない。
「たとえば職場で」を「家の中」に置き換えたら、どうなるのだろう。
私は、ついつい、「ちょっと手伝ってよ」と言いたくなる。
「お前も働けよ。オレ、働いているだろう」
これは、妻のことばでもあるだろう。
妻もついにきれる。
「もう、パソコンぶっこわしたる!」
これは、「人を正そう」としているのではない。
「正せない人」への粛正である。
●あした行くと、また休み(木曜日)。
金・土と出ると、日・月とまたまた休み。
月曜日の休みは、わが社でまだ誰も取っていない「年休」。
マイミクの「順三」さんがやって来る。
■案内
・
日記/「Home」案内
・
2000年会/「花見大会」案内
ログインしてコメントを確認・投稿する