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2023年12月04日02:19

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河口慧海の「チベット旅行記」

河口慧海の「チベット旅行記」を読みました。講談社学術文庫上下二巻です。本当はもう少し前に読んでいたのですが、感想を書くのが遅くなりました。

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河口慧海は日本で使われている漢文の経典に疑問を抱き、原典に当たるしかない、と思い詰めてチベット行きを決意。というのは、インドでは仏教はすっかりすたれてしまって、特に大乗仏典はネパールまたはチベットに伝わっているという。しかしチベットは外国人の入国を厳しく制限しています。とりあえずインドへ行き、そこでいろいろと準備をします。そしてネパール経由でチベットに入る道を探すことにします。
しかしそれがまた大変苦難の道のりです。疑われないようにと、ものすごい遠回りをします。しかも高山地帯で雪の中。たくさん危険な目にも遭い、本当によく無事にたどり着いたものです。

私はここで玄奘のことが頭をよぎりました。既存の仏典では納得ができなくて原典を求めようと決意。密出国をして旅立ち、砂漠の苦難の道をひたすら仏典を求めるという目的に向かって進んでいく…。仏典を得るためならどんな苦難をも乗り越えて進む強い意志。

確かに目的は仏典なのですが、あまりにも大変なことが次々と起こるので、なんだかものすごい冒険譚を読んでいる気になっていきました。一体どうやって目的地にたどり着くのか、ドキドキハラハラです。しかも本当に旅程が詳細に記されています。のちにこの道をたどった研究者はその記述の正確さが確認できたということですが、ただ目的地にたどり着くのではなくそれだけ詳細な経過を記録していたというのもすごいです。で、その記録はもう本当に大変な目に遭っていることが書かれていて、本当にギリギリ命の危険にさらされてかろうじて助かった…などということもあるわけですが、どこか客観的と言うか、機転を利かせ、方策を思案して切り抜けていく様子を描写しているので、悲壮感よりも「冒険譚」めいて感じるようです。これは帰国後に主に口述で新聞記事に載ったものがベースになっているということですが、慧海は話がうまかったのかもしれません。
そうして上巻の終わりになってようやくチベットの首都、ラサにたどり着きます。

下巻では慧海が観察した、ラサを中心とするチベットの様子が詳しく描かれています。これもまた非常に詳しくいろいろなことが書いてあります。一般人の生活習慣や結婚式やお葬式の様子、さらには現代なら差別的と取られかねないような、チベット人の不潔ぶりに辟易した様子とか。またチベットを取り巻く国際情勢のことも書いていて、チベットに入ろうとした外国人の消息やそれによる対外関係の駆け引きなど、西洋列強に翻弄される当時のアジアを感じることができます。チベットは北からロシア、南からイギリスが手を伸ばしてきて、チベット人はどちらにも恨みを抱くようになり、外国人の入国を厳しく制限するようになった模様。。
こういうことがえんえんと書かれていて、いつ仏教の勉強をしているんだと思うほどです。勉強している様子の詳細はあまり書かれていないのでなおさらです。チベットの重要な祭典の模様はかなり詳しく書いていますけれど。
でも高名な師に師事していたり周りから尊敬されるようになってるらしいので、勉学の成果は上がっていたらしい。しかも医術や薬の知識があったので、治療を頼まれることが多くなり、そちらでも有名になっていきます。医者ではなく仏典を求めに来たのに…と言うジレンマも。

そうしてそのうち素性を疑われることが起こります。密入国した日本人だとバレたらヤバい。なのでそれが明らかになる前に帰国することにします。これもまた秘密裏にラサを出発する冒険の脱出行です。もしバレて追手がかかっては大変。しかしチベットからインドへの国境を突破するにはいくつもの関門がある。鎖国のチベットでは関門も厳しい。ハラハラしながらも奇跡のように関門を突破していきます。

そうしてようやくインドにたどり着いた…のですが、そのまますぐに帰国の船に乗るわけにはいかない事態が。
チベットで自分をかくまってくれた人たちが捕らえられて獄中にあるという噂を聞き、自分のために苦難にあった人たちを見捨てるわけにはいかない、と釈放してもらうために奔走するのです。そのためにまず考えたのは、ネパールに入ってネパール国王から働きかけてもらうこと。
しかもこの地にも日本人はいるもので、慧海の支援をしてくれていたのですが、その人たちは必死で止めます。ようやくここまでたどり着いたのに、またネパールに行くなんて無茶だ、と。とにかく今は帰国しなさい、それから考えましょう…と説得するのですが慧海は自分だけ逃れて帰ることはできない、と聞き入れません。そういった周りの人たちとのやりとりがいろいろ。そうこうするうち、なんと大谷光瑞がインドにいる!大谷光瑞を交えてみんなで慧海を説得にかかります。
河口慧海と大谷光瑞の出会いがこれだったのは残念な気がします。仏僧として出会い、それぞれチベットや中央アジアの仏教のことを話し合えばどうなっていただろうと思います。でもこの時はとてもそんな余裕はありません。慧海はネパールに行くと言い張り、大谷光瑞は周囲の人たちと一緒に帰国を進める側に回っているので折り合いが付きません。

結局慧海はネパールへ行き、国王に会います。

慧海の意志の力と行動力は本当にすごいです。

こういうわけで、チベットへ行くも志半ばで帰ってきたので、慧海は二回目のチベット行きを目指します。二回目の旅行記もあるらしいので、読んでみたくなりました。

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